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主   文 一 債権者Aを除くその余の債権者らがそれぞれ債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。 二 債務者は、 債権者Bに対し金六〇五万九八五八円、債権者Cに対し金五五二万三三九〇円、債権者Dに対し金七五一万八二九四円、債権者Eに対し金六二九万三一四二円、債権者Fに対し金五五〇万五〇一四円、債権者Gに対し金七八四万〇六〇二円、債権者Aに対し金六九四万四一六五円、債権者Hに対し金六七八万四六〇七円、債権者Iに対し金六〇八万一六八七円、債権者Jに対し金五九六万一四八五円、債権者Kに対し金六六六万〇三二四円、債権者Lに対し金五六七万五七八二円、債権者Mに対し金五三六万二一〇五円の各金員をそれぞれ仮に支払うとともに、昭和五〇年四月から本案判決確定の日に至るまで毎月二〇日かぎり、債権者Bに対し金一〇万九三六九円、債権者Cに対し金一〇万〇五〇〇円、債権者Dに対し金一三万三四七〇円、債権者Eに対し金一一万二一七五円、債権者Fに対し金九万九六一八円、債権者Gに対し金一三万八五二三円、債権者Hに対し金一二万一八四三円、債権者Iに対し金一〇万九九一九円、債権者Jに対し金一〇万八一二六円、債権者Kに対し金一一万九〇二一円、債権者Lに対し金一〇万二二九三円、債権者Mに対し金九万七六八八円の各金員をそれぞれ仮に支払え。 三 債権者らのその余の申請をいずれも却下する。 四 訴訟費用は債務者の負担とする。 事   実 第一 当事者双方の求める裁判 一 債権者ら 1 債権者Aを除くその余の債権者らがいずれも債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。 2 債務者は、債権者らに対し、それぞれ別紙甲債権目録その1に表示の各債権者の請求総額欄に記載された各金員を仮に支払え。 3 債務者は、債権者Aを除くその余の債権者らに対し、それぞれ昭和五〇年四月から本案判決確定の日に至るまでの間毎月二〇日かぎり、別紙甲債権目録その2に表示の各債権者の月額合計欄に記載された各金員に、右債権者ら全員につき毎年一月一日付で各金一〇〇円(年令給)を加算し、さらに、債権者Kにつき毎年二月一日付で、債権者B、同C、同E、同Iおよび同Jにつき毎年三月一日付で、債権者Lおよび同Mにつき毎年四月一日付で、債権者Hにつき毎年五月一日付で、債権者Fにつき毎年七月一日付で、債権者Dおよび同Gにつき毎年一一月一日付でいずれも各金一〇〇円(勤続手当)を加算した各金員を仮に支払え。4 債務者は、債権者Aを除くその余の債権者らに対し、それぞれ昭和五〇年四月から本案判決確定の日に至るまでの間、毎年三月、六月、九月および一二月の各二〇日かぎり別紙甲債権目録その3に表示の各債権者の請求金額欄に記載された各金員を、毎年債務者会社の従業員に夏季レクリエーシヨン補助金が支払われる都度同債権目録その4に表示の各債権者の藁金額欄に記載された各金員を、さらに、毎年二月、五月、八月および一一月の各一五日かぎり同債権目録その5に表示の各債権者の請求金額欄に記載された各金員をそれぞれ仮に支払え。5 債務者が債務者会社の従業員に対して支払う賃金、食費補助金、文化会補助金(以上第3項関係)、住宅手当、理髪費補助金、夏季レクリエーシヨン補助金および通勤費(以上第4項関係)の支払基準を改訂したときは、債務者は、債権者Aを除くその余の債権者らに対し、第3項および第4項記載の各金員を改訂基準に従つて引き直したものを仮に支払え。 6 債務者は、債権者Aを除くその余の債権者らに対し、それぞれ昭和五〇年から本案判決確定の日に至るまでの間債務者会杜の従業員に夏季および年末の各一時金が支払われる都度、別紙甲債権目録その2に表示の各債権者の基準賃金欄に記載された各金額に他の従業員に適用される基準と同一の基準を適用して算定した各金員を仮に支払え。 7 訴訟費用は債務者の負担とする。 二 債務者 1 債権者らの本件各申請はいずれも却下する。 2 訴訟費用は債権者らの負担とする。 第二 債権者らの申請の理由 一 1 債務者は、東京都品川区に本店を、東京都ほか五市に営業所および出張所を、川崎市、千葉市および東京都に工場をそれぞれ有し、酸素、アルゴン、窒素、アセチレン、液化石油ガス等各種の高圧ガスの製造、販売、これらのガスの製造装置、付帯機械器具等の製造、販売その他の付帯事業の経営を目的とする株式会杜であつて、昭和四五年当時における資本金額は金一五億二〇〇〇万円であつた。2 他方、債権者一三名(以下債権者らという。)は、昭和四五年八月当時、いずれも債務者に雇用され、債務者会社川崎工場のアセチレンガス製造部門(以下、単にアセチレン部門という。)に勤務していた従業員であり、そして、そのうち債権者Aのみは、昭和五〇年三月三一日をもつて、従業員の退職事由としての定年に達した。なお、債権者らは、いずれも昭和四五年以前から、債務者会杜の従業員を主たる構成員として組織された合成化学産業労働組合連合東洋酸素労働組合(以下、単に組合という。)川崎支部に所属する組合員であつた。二 ところで、債務者は、昭和四五年八月一五日かぎり、アセチレン部門を閉鎖したのに伴ない、債権者らを解雇したと主張して、その後、債権者らが債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを否認するとともに、債権者らの就労および債権者らに対する後記の賃金、一時金その他の労働の対償としての金員の支払いを拒絶している。
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三 1 債権者らが昭和四五年八月一六日以降も債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあるとすれば、債権者らが債務者に対し右日時以降における右地位に基づく労働の対償として支払いを請求しうる賃金、一時金その他の金員の種目および金額は、次のとおりである。 2 賃金 (一) 賃金体系 (1) まず、債務者会社の従業員の賃金体系を説明すると、賃金は、基準賃金と基準外賃金とに大別され、基準賃金は、基本給と手当とに別かれ、基本給は、職能給と年齢給とからなり、手当は、臨時物価手当、勤続手当、幹部手当、家族手当と交替勤務手当(但し昭和四九年四月以降新設)とからなり、基準外賃金は、早出、残業手当等からなる。基準外賃金は、基本給と、家族手当を除く右の四つの手当との合計額を基礎にして計算される。そして、以上の賃金の支払期日は毎月二〇日である。なお、以上のほかに、住宅手当(昭和四八年四月以降新設)がある。(2) 職能給は、各従業員の職務、能率等を総合加味した一定の基準による査定によつて決定され、年齢給は、満一五歳を金二七〇〇円とし、一歳ごとに各金一〇〇円を加算して決定される。なお、年齢給の昇給は毎年一月一日付けで行なわれる。 (3) 臨時物価手当は、基本給一〇パーセントであり、勤続手当は、勤続一年につき金一〇〇円とし、正規の従業員としての雇用契約を締結した月に該当する月に加算される。幹部手当は、係長が金二〇〇〇円、主任が金一五〇〇円であり、家族手当は、妻、満一九歳未満の子女および満六一歳以上の同居の父母を扶養する従業員に対し所定額が五人を限度として加算され、さらに、交替勤務手当は、三班三交替勤務に従事する者に対し毎月金三〇〇〇円が加算される。(4) 基準外賃金としては、早出、残業手当、休日出勤手当、臨時出勤手当、深夜業手当等があり、それぞれの割増率が定められている。 (二) 昭和四五年八月分の未払賃金 債権者らの昭和四五年八月分の賃金は、債権者らの同年五月から七月までの三か月分の賃金額を平均して算出するのが相当であるところ、そのようにして算出した債権者らの同年八月分の賃金およびその内訳は、別紙甲債権目録その1および別紙甲(1)以下に表示の債権者らの同月分の賃金欄に記載したとおりである。ところで、債権者らは、同年八月分の賃金のうち別紙甲債権目録その1に表示の同月分支給額欄に記載した金員の支払いを受けたが、その余の金員の支払いを受けていない。そこで、債権者らは、債務者に対し、その未払残金の支払いを請求することができる。 (三) 昭和四五年九月分から同五〇年三月分までの賃金債権者らが昭和四五年九月から同五〇年三月までの間に債務者から支払いを受けるべき賃金およびその内訳は、別紙甲債権目録その1および別紙甲(1)以下に表示の債権者らの右期間の賃金欄に記載したとおりである。なお、その間における賃金のベースアツプ等の内訳は、別紙甲賃上げ一時金算出根拠一覧表に記載したとおりであり、その間における査定は、債務者会社の従業員の平均値をもつてなすべきである。 (四) 昭和五〇年四月分以降の賃金 債権者Aを除くその余の債権者らが昭和五〇年四月以降に債務者から支払いを受けるべき賃金およびその内訳は、別紙甲(43)および(44)に記載したとおりである。なお、同年以降において賃金のベースアツプがあつたときは、改訂された基準に従つて算出された増額分を右記載の金額に加算すべきである。 3 一時金 (一) 昭和四五年から同四九年までの一時金 債務者会社の従業員は、昭和四五年の年末から同四九年の年末までの夏季(中元時)および年末に、別紙甲賃上げ一時金算出根拠一覧表の各一時金欄に記載したとおりの算出基準による一時金(賞与を含む。以下同じ。)の支払いを受けた。そこで、債権者らは、債務者に対し、右と同一の基準に従つて算出した別紙甲(3)以下に表示の債権者らの各一時金欄に記載した金員の支払いを請求することができる。 (二) 昭和五〇年以降の一時金 債権者Aを除くその余の債権者らは、昭和五〇年以降も、債務者会社の他の従業員に適用する基準と同一の基準に従つて算出した一時金の支払いをその一時金支払いの確定の都度請求することができる。 4 食費補助金 債務者は、その従業員に対し、昭和四五年から同四六年五月までは一食につき金一五円、その後昭和四九年一二月までは一食につき金二〇円の食費補助金を各食事の都度支払つていた。そして、右補助金の従業員一人当たり一か月分の平均支払額は二五食分である。そこで、債権者らは、債務者に対し、右基準の従つて算出した昭和四五年七月一日から同四九年一二月三一日までの食費補助金(別紙甲(3)以下に表示の各食費(事)補助欄に記載した金員)および昭和五〇年一月一日以降の食費補助金(一食につき金二〇円、これが改訂されたときはその改訂額による。)の支払いを請求することができる。 5 理髪費補助金 債務者は、昭和四五年以降、その従業員に対し、三か月に金四〇〇円の理髪費補助金を支払つている。そこで、債権者らは、債務者に対し、右基準に従つて算出した昭和四五年九月一日から同四九年一二月三一日までの理髪費補助金(別紙甲(3)以下に表示の各理髪費補助金欄に記載した金員)および昭和五〇年一月一日以降の理髪費補助金(これが改訂されたときはその改訂額による。)の支払いを請求することができる。 6 文化会補助金 債務者は、その従業員に対し、昭和四五年から同四七年四月までは一か月金一五〇円、その後昭和四九年一二月までは一か月金二〇〇円の文化会補助金を支払つていた。そこで、債権者らは、債務者に対し、右基準に従つて算出した昭和四五年九月から同四九年一二月までの文化会補助金(別紙甲(3)以下に表示の各文化会補助欄に記載した金員)および昭和五〇年一月以降の文化会補助金(一か月金二〇〇円、これが改訂されたときはその改訂額による。)の支払いを請求することができる。 7 夏季レクリエーシヨン補助金
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債務者は、その従業員に対し、昭和四五年および同四六年は一人当たり金一五〇〇円、昭和四七年は一人当たり金一七〇○円、昭和四八年は一人当たり金一九〇〇円、昭和四九年は一人当たり金二四〇〇円の夏季レクリエーシヨン補助金を支払つた。そこで、債権者らは、債務者に対し、右基準に従つて算出した昭和四五年夏季から同四九年夏季までの夏季レクリエーション補助金(別紙甲(3)以下に表示の各夏季レクリエーション補助欄に記載した金員)および新しく確定される金額による昭和五〇年夏季以降の夏季レクリエーシヨン補助金の支払いを請求することができる。 8 慶弔金および永年勤続者表彰金 債務者は、従来、その従業員に対し、規則に従い、勤続一〇年以上の従業員の結婚の場合には金二万五〇〇〇円、子女出産の場合には金二〇〇〇円の各祝金、勤続一〇年以上の従業員の父母死亡の場合には金一万円の弔慰金、一〇年の勤続の場合には金三〇〇〇円、一五年の勤続の場合には金四五〇〇〇円の各表彰金を支払つてきた。ところで、債権者らについては、昭和四五年九月から同四九年一二月までの間に、別紙甲(3)以下に表示の各慶弔慰金、永年勤続欄に記載したとおりの各慶弔金および永年勤続者表彰金の支払原因が発生したので、債権者らは、債務者に対し、右各慶弔慰金、永年勤続欄に記載した金員の支払を請求することができる。 9 通勤費 債務者は、従来、その従業員に対し、工場へ通勤するための交通費の実費(定期乗車券代)を三か月分ずつまとめて支払つてきた。そこで、債権者らは、債務者に対し、別紙甲(3)以下に表示の交通費欄に記載した昭和四五年八月一六日から同五〇年五月一五日までの通勤費(バス定期乗車券代)およびそれと同様の基準に従つて算出した昭和五〇年五月一六日以降の通勤費の支払いを請求することができる。 10 なお、債権者Aは、前記のとおり、昭和五〇年三月三一日をもつて定年に達したので、同債権者にかぎり、同日までの賃金、一時金その他の金員の支払いを請求することができるに止まる。 四 債権者らは、いずれも債務者から支払いを受ける賃金、一時金その他の金員のみによつて生計をたてている労働者であつて、それ以外に何らの資産、収入がない。そこで、債務者から右各金員の支払いを受けられないとすると、債権者らおよびその家族は、その生活が危殆に瀕し、著しい損害を蒙るおそれがある。五 よつて、債権者Aを除くその余の債権者らは、同債権者らが債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める旨の仮処分および債務者が同債権者らに対しそれぞれ債権者らの求める裁判の2ないし6に記載された各金員を仮に支払うべき旨の仮処分を求め、また、債権者Aは、債務者が同債権者に対し債権者らの求める裁判の2に記載された同債権者分の金員を仮に支払うべき旨の仮処分を求める。 第三 申請の理由に対する認否 一 申請の理由第一項および第二項記載の各事実は認める。二 1 同第三項の1記載の主張は争う。 2 (一) 同項2の(一)記載の事実は認める。 (二) 同項2の(二)ないし(四)記載の事実のうち、債権者らの昭和四五年から七月までの三か月間の賃金額および同年八月一五日当時の基準賃金額ならびに債務者が債権者らに対し同年八月一日から一五日までの賃金等として支払つた金額がいずれも債権者ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実および主張は争う。なお、債務者が債権者らに支払つた昭和四五年八月一日から一五日までの賃金等の内訳は、その間における基準賃金(八月分の二五分の一三)および基準外賃金ならびに八月分の通勤費であつて、その間に不就労があつた者については、その不就労期間中の賃金相当額を控除している。 (三) (1) 債権者らは、昭和四六年度以降における債権者らの職能給の加算額については、債権者と組合との間の協定に基づく全組合員の各年度における定期昇給額および臨時昇給額の平均額をもつてすべきであると主張している。しかし、まず、各組合員の各年度の定期昇給額は、所定期間内における各組合員の職務、能率等の勤務実績を総合加味した債務者の査定により決定されるのであつて、一律の方法で決定されるものではないから、昭和四五年八月一六日以降における債権者らの勤務実績が全組合員の平均水準に達したであろうことを推定すべき資料のない本件においては、債権者らの主張するような方法でその定期昇給額を決定するのは相当でない。そこで、仮にこの点につき一応妥当と認められる決定方法を求めるとすれば、債務者が債権者らを解雇した直前である昭和四五年一月一日付の定期昇給時の査定に基づく全組合員の定期昇給額の平均額と債権者ら各人の定期昇給額(この金額は、債権者らの解雇の直前における勤務実績を反映していると解することができる。)との割合を算出したうえ、昭和四六年度以降の各年度における全組合員の定期昇給額の平均額に右割合を乗じて算定する方法を採るのが相当である。また、各組合員の臨時昇給額は、各組合員に一律に配分される金額、各組合員の職能給に比例して配分される金額および各組合員の年齢を基準として配分される金額からなつており、そのそれぞれにつき全組合員の平均額が毎年債務者と組合との間で協定されることになつている。そして、右のうち各組合員の職能給に比例して配分される金額は、右協定による各年度の全相合員の平均額に、臨時昇給額の決定時における全組合員の職能給の平均額と各組合員の職能給の金額との割合を乗じて算定されることになつている。ところが、昭和四六年度以降における各組合員の臨時昇給額の決定に際しては、全組合員の職能給の中には債権者らの職能給を含めていないから、今さらこれを含めたうえ昭和四六年度以降における各組合員の臨時昇給額の再計算を行なうことは困難である。さりとてまた、この点につき各臨時昇給額の決定時における全組合員の職能給の平均額をもつて債権者ら各人の職能給の金額とすることも、昭和四六年度以降における定期昇給額の決定について述べたのと同様の理由で、相当でない。したがつて、仮にこの点についても一応妥当と認められる決定方法を求めるとすれば、債権者らの解雇の直前である昭和四五年四月一日付の臨時昇給額の決定時における全組合員の職能給比例配分金額の平均額と債権者ら各人の職能給比例配分金額との割合を算出したうち、昭和四六年度以降における全組合員の職能給比例配分金額の平均額に右割合を乗じて算定する方法を採るのが相当である。
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(2) 次に、債権者らは、昭和四五年八月一六日以降における債権者らの基準外賃金の金額については、債権者らの解雇の直前である昭和四五年五月から同年七月までの三か月間の債権者ら各人の基準賃金(但し、家族手当を除く。以下同じ。)とその間の債権者ら各人の基準外賃金との割合を算出したうえ、昭和四五年八月一六日以降の各月の債権者ら各人の基準賃金なるものに右割合を乗じて算定すべきであると主張している。しかし、基準外賃金の金額は、従業員が所定の期間内に債務者の指示に基づいて現実に行なつた早出、残業、休日出勤等の時間外等勤務の量に応じて決定されるへきものであつて、その量にかかわりなく過去の早出、残業等の実績を基礎として定める一定の算式に基づいて決定されるべきものではないから、昭和四五年八月一六日以降における債権者らの基準外賃金の金額の算定は不可能であるというべきである。 (3) さらに、債権者B、同C、同D、同Eおよび同Fの五名は、昭和四五年八月一五日以前にアセチレン部門において三班三交替勤務に従事していたことを理由として、昭和四九年四月以降新設の交替勤務手当の支払いを請求することができると主張している。しかし、右の交替勤務手当は、昭和四九年四月二五日に債務者と組合との間に締結された三班三交替勤務手当の支給に関する協定に基づき新設されたものであるが、その協定によれば、右手当は、一か月に一五日以上現実に三班三交替勤務に従事した従業員に対してのみ支払われるものであつて、三班三交替勤務を常態とする職場に勤務する従業員であつても、その勤務が一か月一五日未満にすぎない場合には、支払われないのである。ところで、右債権者ら五名が昭和四五年八月一六日以降も債権者会社の従業員としての地位を有していたとしても、昭和四九年四月以降、一か月に一五日以上現実に三班三交替勤務に従事する蓋然性があるとは認められない。したがつて、右債権者らの主張は理由がない。(四) 債務者の主張に従い、債権者ら主張の期間内における債権者らの各賃金額を算定すると、その各金額は、別紙乙の各表に表示の各債権者の賃金請求額欄に記載されたとおりの金額となる。 3 (一) 同項3の(一)および(二)記載の事実のうち、債務者が昭和四五年の年末から同四九年の年末までの各夏季および年末にその従業員に対し債権者らの主張するとおりの各一時金を支払つたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。 (二) 夏季および年末の各一時金の金額は、各従業員の特定時(夏季一時金についてはその年の三月末、年末一時金についてはその年の九月末)における基準賃金の金額を基礎として、その都度債務者と組合との間で協定される計算方法により算定されるのであるが、その基礎とたるべき基準賃金額に加算する定期昇給額および臨時昇給額の算定に関する債権者らの主張には、前記の二2(三)の(1)で述べたとおりの問題点がある。したがつて、債権者ら主張の右各一時金の金額も、そこで述べた債務者の主張に従い修正されなければならない。(三) 債務者の主張に従い、債権者ら主張の期間内における債権者らの各一時金の金額を算定すると、その各金額は、別紙乙の各表に表示の各債権者のボーナス合計欄に記載されたとおりの金額となる。 4 同項4記載の事実のうち、債務者が債権者ら主張の基準による食費補助金を支出していたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。債務者は、その従業員が事業所ごとに指定された仕出業者から昼食用の弁当などを取つた場合に、その業者に対し食費補助金を支払つていたものであつて、従業員個人に対し支払つていたものではない。 5 同項5記載の事実のうち、債務者が構内に理髪施設のない事業所の従業員に対し債権者ら主張の金額の理髪補助金を支払つていることは認めるが、その余の事実および主張は争う。債権者らが勤務していた川崎工場にはその構内に理髪施設があるため、債務者は、同工場の従業員には、理髪補助金を支払つていない。6 同項6記載の事実のうち、債務者が債権者ら主張の基準による文化会補助金を支出していたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。債務者は、スポーツや趣味を同じくする従業員が集つて組織した文化会に対し、その運営費の一部として文化会補助金を支払つていたものであつて、従業員個人に対し支払つていたものではない。 7 同項7記載の事実のうち、債務者が債権者ら主張の基準による夏季レクリエーシヨン補助金を支出していたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。債務者は、その従業員を対象として債務者自らが主催する夏季レクリエーシヨンの費用を負担、支出していたものにすぎず、従業員個人に対し支払つていたものではない。なお、このレクリエーシヨンに参加するか否かは、従業員の自由であつた。8 同項8記載の事実のうち、債務者が従来その従業員に対し債権者ら主張か基準による慶弔金および永年勤続者表彰金を支払つてきたことは認めるが、その余の事実は争う。 9 同項9記載の事実のうち、債務者が従来その従業員に対し債権者ら主張のとおりの通勤費を支払つてきたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。右通勤費の支払いは、債務者がその従業員の通勤に要する実費を負担し、支弁していたものにすぎない。 三 同第四項記載の事実および主張は争う。 第四 債務者の抗弁 一 昭和四五年当時における債務者会社の就業規則(以下、単に就業規則という。)第五二条本文には、「社員(従業員)が次の各号の一に該当するときは三〇日前に解雇予告するか、平均賃金三〇日分以上を支給して解雇する。」との規定があり、同条第八号には、「やむを得ない事業の都合によるとき」との規定があつた。 二 債権者らは、いずれもその主張するとおり昭和四五年以前から債務者会社川崎工場のアセチレン部門に勤務していたものであるが、債務者は、次の三において述べるとおりの事由により、昭和四五年八月一五日かぎりアセチレン部門を閉鎖しなければならなくなつたことに伴ない、当時同部門に勤務していた債権者らを含む従業員全員(但し、同部門の製造二課長の職にあつた従業員一名を除く。以下、従業員全員というときは、同じ意味である。)を解雇せざるをえなくなつたので、就業規則の右規定に基づき、同年七月二四日、債権者らを含む右従業員全員に対し、同年八月一五日かぎり解雇する旨の意思表示(以下、本件解雇通告という。)をした。
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三 1 (一) 債務者は、酸素、アルゴン、窒素の製造、販売等のほかに、昭和二八年から、アセチレンガスの製造、販売をも行なうことを計画し、川崎工場内にその製造部門を設置して、以来一七年間にわたり、その製造、販売を行なつてきた。ところで、債務者会社のアセチレン部門の業績は、当初の約五年間は、同業者が少なく、市況も比較的安定していたため、一応順調な伸展を見せ、債務者も、それに応じて、同部門の設備の増強、拡大に努力してきた。しかし、昭和三四年ころになると、中小の酸素製造業者をはじめ、高圧ガス販売業者、カーバイト製造業者などが続々とアセチレンガスの製造、販売を開始し、各地にその製造工場が群立して、その間の競争が激化するようになつた反面、アセチレンガスに対する需要の伸びが逐次鈍化の傾向を示し、市況が次第に悪化するに至つた。それに伴ない、債務者会社のアセチレン部門の業績も、逐次悪化の傾向を辿るに至つたので、債務者は、その後、巨額の資金を投じて、同部門の設備の集約化、製品の供給方法の合理化を図るなど経営の改善に努めたが、十分な効果をあげるには至らなかつた。さらに、昭和三八年ころになると、新しくプロパン、プロピレンなどの石油系溶断ガスが出現し、アセチレンガスの大口需要者である鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換える傾向が生じるに至つたため、アセチレンガスの市況が急速に悪化し、債務者会社においても、アセチレン部門の収支が同年上期に遂に赤字に転落するに至つた。そこで、債務者は、その後、種々の対策を講じて、アセチレン部門の収支の改善に腐心したが、同部門の赤字は年を追つて累積し、昭和四四年下期に至るまでに、総額金四億一六〇〇万円余にも達した。 (二) 債務者会社のアセチレン部門の収支が右のような巨額の赤字を生ずるに至つた原因の一つは、昭和三八年ころ以降におけるアセチレンガスの市況の悪化が急速であり、かつ、著しかつたことである。すなわち、アセチレンガスの製造工程は極めて簡単であるうえ、その製造設備や操業は比較的少額の資金ででも可能であるため、昭和三四年ころ以来、中小の酸素製造業者をはじめ、多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出し、昭和二八年七月当時には、全国におけるアセチレンガス製造工場の数が、酸素製造業者兼営のもの一〇、専業製造業者のもの五の合計一五工場にすぎなかつたものが、その一〇年後の昭和三八年には、酸素製造業者兼営のもの三二、専業製造業者のもの五三の合計八五工場にもなり、製品の供給過剰を招くに至つた。加うるに、昭和三八年ころから、爆発についての危険性が低い石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産され、鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになつたため、アセチレンガスの需要の伸びが急激に鈍化するに至つた。その結果、アセチレンガスの価格の低落に拍車がかけられ、債務者会杜におけるその販売価格は、昭和三二年ころには一キロググラム当たり金三〇〇円程度であつたものが、昭和三八年には約金二二〇円となり、さらに、昭和四三年下期から同四四年上期にかけては金一九三円弱にまで落ち込んでしまつた。 (三) 債務者会社のアセチレン部門の収支が赤字を生ずるに至つたもう一つの原因は、同部門の作業能率が他業者のアセチレン部門のそれに比較してはるかに低く、市況の悪化を克服するに足りる経費の節減を実行することがでなかつたことである。すなわち、アセチレンガス製造業界における常識では、従業員一人当たりの一か月の生産量は、六トンないし七トンであるとされ、作業能率の高い業者では八トンないし一〇トンにも達しているのに対し、債務者会社のアセチレン部門の作業能率ははるかに低く、昭和三七年までの従業員一人当たりの一か月の生産量は、アセチレンガスの需要期である冬期において約一・八トン、不需要期である夏期において約一・四トンないし一・六トンであり、昭和三八年から同四一年にかけては、生産の不安定と販売量の減少が生ずるに至つた反面、作業人員はほとんど変らなかつたため、良いときでも一・五トン、悪いときは〇・七トンにまで落ち、昭和四二年以降においても約一・六トン程度に止まつていた。そして、債務者会社のアセチレン部門の作業能率がこのように異常に低かつた理由は、債務者会杜と同程度の生産量をあげている同業者に比し、従業員の人数が非常に多く同業者の四倍ないし六倍にもなつていたほか、従業員の実働時間が一日約四時間程度に止まつていたことによるものである。 (四) なお、右に述べたように、債務者会社のアセチレン部門の作業能率は異常に低かつたのにかかわらず、同部門に所属する従業員の賃金水準は、年とともに引き上げられ、アセチレンガスの製造原価の中に占める人件費の割合は、他の同業者においては類を見ないほど高いものとなつた。一般に大手の酸素製造業者がアセチレンガスの製造を兼営している場合には、酸素製造部門における高い賃金水準が労働集約度の高いアセチレン部門にもそのまま適用されることが多いため、アセチレンガスの専業製造業者等に比し、従業員の賃金水準が高くなるのが常であるが、債務者会社のアセチレン部門のように作業能率が異常に低い場合には、従業員の高い賃金水準は、相乗的にアセチレンガスの製造原価を高める結果を招き、アセチレン部門の業績悪化の致命的な原因となつた。
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2(一) 債務者は、以上に述べたようなアセチレン部門の業績の悪化に対処し、これを防止するため、あらゆる機会を捉えて、アセチレン部門の生産能力の増強、アセチレン容器の増加、大口需要者に対するアセチレン供給設備の設置等に努力を重ねてきた。すなわち、昭和三四年当時においては、債務者会社のアセチレン部門の製造装置は、第一、第二工場ともに、毎時一五立方メートルのもの各四基で、一か月間の公称生産量は七九・二トンであつたが、債務者は、昭和三五年中に、第二工場の製造装置四基を毎時三〇立方メートルのものに切り換えたので、一か月間の公称生産量は一一八・八トンに達することとなつた。また、昭和三四年当時における債務者所有のアセチレン容器は、約一万六〇〇〇本(一本当たりの充填量は約六キログラム)であつたが、債務者は、その後昭和三七年上期までの間に、約金二億円の資金を投じて新しい容器一万七〇〇〇本を購入した。その結果、昭和三五年には、債務者会社のアセチレン部門の製造設備の規模は、京浜工業地帯では昀大のものとなつた。さらに、債務者は、アセチレンガスの昀大の需要者であつた日本鋼管水江製鉄所に対するアセチレンガス供給の合理化を図るため、昭和三六年五月に、約金一四○○万円の資金をもつて同製鉄所へパイプラインとガス昇圧ブロワー装置を完成し、その完成前には一か月約七トン程度にすぎなかつたアセチレンガスの供給量を、昭和三七年下期には約二五トン、同三九年には約三〇トンにまで増加させ、また、債務者会社の川崎工場に隣接する日立造船神奈川工場に対しても大量のアセチレンガスを供給するため、昭和三八年一一月に、同工場へのパィプラィンを完成させた。 (二) また、債務者は、人件費の節減によるアセチレンガスの製造原価の引下げを図るため、組合ないしその川崎支部と交渉を重ね、その協力を求めた。すなわち、昭和三七年当時債務者会社川崎工場のアセチレン部門の従業員には三〇名程度の過剰人員があつたのであるが、債務者は、まず、組合川崎支部との交渉の結果、昭和三七年五月一四日、アセチレン部門の第一、第二工場の製造装置各四基と日本鋼管水江製鉄所に対するアセチレンガス昇圧ブロワー装置を運転させることを前提として、三交替制各組(直)の作業人員を二〇名とし、欠勤、有給休暇等で欠員が生じても出勤人員が一八名に達しておれば、右各装置を運転することを主たる内容とする、いわゆる二〇名要員覚書の協約を同支部との間で締結した。しかし、このようなアセチレン部門における要員問題は、その後しばしば、債務者と組合との間の対立点として紛争の原因となり、従業員の削減に関する債務者の提案については容易に組合の了解を得ることができず、折角完成した日立造船神奈川工場へのパイプラインも稼働しないまま約六か月間も放置されるいう事態などが発生した。そして、その後、債務者と組合神奈川支部との間では、昭和三七年一二月二〇日のいわゆる一九名要員団交確認、昭和三八年七月一五日のいわゆる二八名要員覚書、昭和三九年五月四日のいわゆる日立送アセ問題に関する一九名要員等確認、昭和四二年一一月一一日のいわゆる一四名要員覚書、昭和四四年一月一八日のいわゆる機械運転台数規制を含む一四名要員覚書などの協約が締結されたが、人件費の節減によるアセチレンガスの製造原価の引下げはその目的を達するまでには至らなかつた。3(一) 債務者は、アセチレン部門の業績の悪化を防止するため、以上のように種々の対策を講じてきたのにかかわらず、その効果はあがらず、同部門の赤字は年を追つて増大し、とくに昭和四一年以降は毎年金六〇〇〇万円ないし金一億円にもなり、前述のとおり、昭和四四年下期に至るまでの赤字の総額は金四億一六〇〇万円余にも達した。しかも、アセチレンガスの原料であるカーバイトの慢性的品不足による価格の高騰、経済の高度成長に伴う人件費や運賃の急激な増大は、アセチレンガスの製造原価の上昇傾向を不可避なものとし、その結果、昭和四四年には、アセチレンガス一キログラムの販売価格が約金一九七円であつたのに対し、その製造原価は約金二六九円にも達するようになり、これを黒字に転ずることはほとんど不可能な状態となつた。さらに、アセチレン部門における右のような赤字の累積は、単に同部門の経営の困難を招くに止まらず、債務者会社全体の業績の低下を招く(昭和三八年から同四四年までの間におけるアセチレン部門の赤字の合計額である約金四億一六〇〇万円は、その間における債務者会社全体の税引後純利益の合計額である約金一〇億四九〇〇万円のほぼ四割にも相当する。)とともに、債務者会社の主たる製造部門である酸素部門の経営にも深刻な影響を及ぼすこととなり、債務者会社の業績は、酸素製造を主たる営業とする同業者に比して、著しい立遅れを余儀なくされ、その間の企業格差は拡大する一方であつた。例えば、系列下のオンサイトプラントおよび共同製造会社を含めた大手酸素製造業者の酸素の生産能力について見ると、昭和三五年においては、債務者会社の一に対し、日本酸素四、帝国酸素三、大阪酸素および大同酸素いずれもほぼ一であつたものが、昭和四五年には、債務者会社の一に対し、日本酸素四七、帝国酸素一二、大阪酸素二、大同酸素六となり、その間に著しい格差が生じるに至つた。その結果、債務者は、増資および金融機関からの借入れ等による資金の調達にも支障を来たすこととなり、このままの状態を放置するときには、債務者会社の経営自体が回復することのできない重大な破綻ないし損失を招きかねない状況となつた。
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(二) そこで、債務者は、アセチレン部門の存廃について慎重な検討を加えたが、債務者会社におけるアセチレン部門の業績の不振は、前記1の(二)において述べたようなアセチレンガス製造業界の構造的変化に起因しており、しかも、その(三)において述べたような同業者に比して異常に低い作業能率に起因している以上、同部門の収支の早期改善はも早ほとんど期待することができない状態であり、同部門を全面的に閉鎖し廃止する以外に債務者会社の経営を立ち直らせる方法はないとの結論に達した。しかし、アセチレン部門の全面的閉鎖は、同部門に勤務している従業員の整理をも当然に伴ない、その生活に重大な影響を及ぼすことになることに鑑み、昭和四五年三月以来、同部門の従業員の雇用をできるだけ継続たまま、同部門の営業を第三者に譲渡する案や、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案などについて検討したが、前者は、同部門の営業を引き受ける適当な第三者がなく、また、後者は、組合川崎支部の反対にあい、いずれも日の目を見るに至らなかつた。そこで、債務者は、やむをえず、昭和四五年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇することを決定し、その後、右閉鎖および従業員解雇の具体的な日時および方法についての検討に入つた。 (三) およそ事実の経営者が経営上やむをえない事由により特定の事業部門を閉鎖しなければならないときでも、同部門に勤務している従業員の解雇は昀少限に止め、整理の対象となる従業員でもこれを他の事業部門に配置転換するなどの方法により、雇用関係を継続するよう配慮するのが望ましいことはいうまでもない。しかしながら、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖に当たつては、次に述べるとおりの理由により、同部門に勤務している従業員全員を解雇する以外に方法はなかつたのである。すなわち、アセチレン部門は川崎工場にしかなかつたのであるから、同工場の従業員を他の工場のアセチレン部門に配置転換するということは不可能であつた。また、アセチレン部門と酸素部門等の他の部門とでは、作業工程が異なり、作業技能の面において互換性が乏しいため、アセチレン部門の従業員をそのまま酸素部門その他の部門に配置転換するということは困難であつた。のみならず、アセチレン部門と酸素部門等との間に従業員の互換性があつたとしても、酸素部門等においても従来からかなりの過剰人員があり、とくに昭和四〇年以降は、一部の女子事務員を除き新規採用を停止するとともに、定年や自己都合退職等の自然減員を待つて人員の圧縮に努めてきたという事情にあつて、アセチレン部門の従業員を受け入れる余裕は全くなかつた。さらに、酸素部門をも含めた川崎工場の全従業員の中から希望退職者を募集する方法を採ることは、債務者会社の全従業員に動揺を生じさせるばかりでなく、当時の求人難の状況下においては、他の同業者等による債務者会社の熟練労働者の引抜きを誘発する原因となるおそれも大であつた。以上のような理由により、債務者会社のアセチレン部門を閉鎖するに当たつては、それと同時に同部門に勤務している従業員全員を解雇する以外に方法がないとの結論に達したのである。 (四) 以上のような事情および経過のもとに、債務者は、昭和四五年七月上旬、アセチレン部門の閉鎖および同部門の従業員の解雇の日を同年八月一五日と決定するとともに、解雇者に対しては、退職金規定による退職金のほかに、勤続年数、家族構成を考慮した特別加給金(基本給の二・五か月分ないし三・五か月分に家族加算分を加えたもの)、予告手当および帰郷旅費を支払うことなどを決定したうえ、同年七月一六日、組合およぴ組合川崎支部に対し、その旨を通知するとともに、全従業員に対し、右閉鎖および従業員の解雇のやむをえない理由を説明したアセチレン工場部門白書を配布して、その理解と協力を求めた。そして、債務者は、同年七月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の全従業員に対し、本件解雇通告をし、さらに、同年八月一五日、同部門を閉鎖するに至つたものである。四1 なお、昭和四五年当時、債務者と組合との間には、組合員である従業員の解雇問題につき事前に協議すべき旨の労働協約等は存在しなかつたのであるが、債務者は、アセチレン部門の閉鎖およびそれに伴なう同部門の従業員の解雇につき組合の理解と協力を得るため、前述のとおり、昭和四五年七月一六日、組合に対し、右閉鎖および従業員の解雇を通知したほか、本件解雇通告後右閉鎖に至るまでの間に、同年七月三〇日、八月七日および同月一四日の三回にわたり、組合と団体交渉を行なつた。しかし、組合は、債務者会杜のアセチレン部門の一方的な閉鎖および従業員の解雇には原則的に反対であるとか、右閉鎖の実施を延期してほしいとか主張するのみで、問題解決の具体的方法については、何らの提案をもしなかつた。そこで、債務者は、組合の了解と協力を得ないまま、昭和四五年八月一五日に予定どおり、右閉鎖および従業員の解雇を実施せざるをえなかつた。2 しかし、債務者は、その後も、昭和四五年八月三一日、九月四日、同月五日および同月八日の四回にわたり、組合と団体交渉を行なつた結果、右九月八日に、債務者会社の事業の都合による本件解雇を従業員の希望退職の扱いとすること、退職する従業員に対し一人金一六万円の餞別金を支払うこと、将来工場閉鎖等の問題が生じたときは事前に組合と協議することを内容とする組合との合意が成立した。そして、組合は、その後、右合意につき組合員の全員投票を行なつたところ、有効投票の八七パーセントに達する賛成を得たので、債務者と組合は、昭和四五年一〇月一二日、右合意を確認する覚書を作成した。 第五 抗弁に対する認否 一 抗弁第一項記載の事実は認める。
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二 同第二項記載の事実のうち、債権者らがいずれも昭和四五年以前から債務者会社川崎工場のアセチレン部門に勤務していたものであること、債務者が、その主張のような事由および就業規則の規定に基づくものであると主張して、昭和四五年七月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の従業員全員に対し、本件解雇通告をしたことは認めるが、債務者主張の解雇事由のあることは争う。三1(一) 同第三項1の(一)記載の事実のうち、昭和三四年ころからアセチレンガスに対する需要の伸びが逐年鈍化の傾向を示し、市況が次第に悪化するに至つたこと、それに伴ない債務者会社アセチレン部門の業績悪化の傾向を辿るに至つたこと、債務者がその後巨額の資金を投じて、アセチレン部門の設備の集約化、製品の供給方法の合理化を図などの経営の改善に努めたこと、昭和三八年ころからアセチレンガスの市況が急速に悪化したことは争い、債務者会社のアセチレン部門の収支が昭和三八年上期に赤字に転落したこと、同部門の赤字が年を追つて累積し、昭和四四年下期までに債務者主張の金額に達したことは知らない。その余の事実は認める。債務者は、昭和三八年以降も、逐年その事業規模を拡大して、着実にその業績をあげており、昭和四五年四月の決算においては、売上高は金二六億一一〇一万三〇〇〇円(昭和四三年一〇月の決算期に比して三八パーセントの増)、営業純利益は金三億三〇八〇万七〇〇〇円(右同決算期に比して一一・九六倍の増)、税引後純利益は金一億五六六六万八〇〇〇円(右同決算期に比して二倍強の増)に達している。また、債務者は、本件解雇通告の少し前に、その株式の配当率を年八分から年一割に引き上げている。 (二) 同項1の(二)記載の事実のうち、昭和三四年ころ以来多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出したこと、昭和三八年ころから石油系溶断ガスが生産され、鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになつたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。石油系溶断ガスが生産されるようになつてからも、アセチレンガスの需要は一貫して伸びており、また、アセチレンガスの価格の低落の傾向も、昭和四五年以降立ち直りつつある。 (三) 同項1の(三)記載の事実および主張は争う。債務者会社と同業者との間において従業員の人数が多いか否かを正確に比較するためには、両者の設備、作業の方法、労働時間、臨時作業員の有無その他の実態をも十分に調査し比較する必要があるのであつて、単に従業員の人数のみを比較すれば足りるというものではない。 (四) 同項1の(四)記載の事実および主張は争う。債務者会社のアセチレン部門の従業員の賃金水準は、大手同業者のアセチレン部門の従業員の賃金水準と比較して、むしろ低かつた。 2(一) 同第三項2の(一)記載の事実のうち、昭和三四年当時の債務者会社のアセチレン部門の製造装置は第一、第二工場ともに毎時一五立方メートルのもの各四基であつたこと、昭和三五年中に債務者が第二工場の製造装置四基を毎時三〇立方メートルのものに切り換えたこと、債務者が、昭和三六年五月に、日本鋼管水江製鉄所ヘアセチレンガスを供給するためのパイプラインとガス昇圧ブロワー装置を、また、昭和三八年一一月に、日立造船神奈川工場ヘアセチレンガスを供給するためのパイプラインをそれぞれ完成させたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。債務者は、他の大手同業者に比し、設備の自動化、容器の改良等についての努力を怠つていた。 (二) 同項2の(二)記載の事実のうち、債務者と組合ないし組合川崎支部との間にアセチレン部門の要員問題についで紛争があつたこと、両者の間に債務者の主張するような覚書、確認などの協約が締結されたこと、日立造船神奈川工場へのパイプラインが稼働しないまま約六か月間放置されるという事態が発生したことは認めるが、その余の事実および主張は争う。 3(一) 同第三項3の(一)記載の事実および主張は争う。前述したとおり、債務者は、昭和三八年以降も、逐年その事業規模を拡大し、着実にその業績をあげており、また、本件解雇通告の少し前に、その株式の配当率を年八分から年一割に引き上げている。 (二) 同項3の(二)記載の事実のうち、債務者が昭和四五年三月組合川崎支部に対しアセチレン部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示したことは認めるが、その余の事実および主張は争う。債務者がアレチレン部門の閉鎖を決定したのは、同部薪の業績が不振で、これを閉鎖する以外に債務者会杜の経営を立ち直らせることができないという理由からではなく、債務者が自らアセチレンガスを製造してこれを販売するよりも、自らは販路だけを確保して、アセチレンガスの製造は系列下の中小専業者に行なわせ、そこから製品を購入してこれを販売した方がより多くの利益をあげうるという、単なる経営政策上の理由からにすぎない。(三) 同項3の(三)記載の事実のうち、債務者会社のアセチレン部門が川崎工場にしかなかつたこと、債務者が昭和四〇年以降男子従業員の新規採用を停止していたこと、その間定年や自己都合退職等の自然減員があつたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。アセチレン部門の従業員とその他の部門の従業員との間に互換性がないということはなく、昭和四五年以前にもアセチレン部門の従業員でその他の部門に配置転換を命ぜられた者が少なくない。また、現に債権者らと同時に本件解雇通告を受けた者のうち債務者の斡旋により他に再就職をした者のほとんどがアセチレンガスの製造業以外の仕事に従事している。さらに、債務者は、昭和四〇年以降男子従業員の新規採用は停止していたが、反面、その間に五〇名以上の女子従業員を採用しており、その中には従前男子従業員が従事していた職場に配置されている者もある。 (四) 同項3の(四)記載の事実のうち、債務者が、昭和四五年七月一六日、組合および組合川崎支部に対し、同年八月一五日かぎりアセチレン部門を閉鎖し、同部門の従業員全員を解雇することなどを通知するとともに、全従業員に対しアセチレン工場部門白書を配布したこと、債務者が、同年七月二四日、債権らをを含むアセチレン部門の全従業員に対し、本件解雇通告をし、同年八月一五日、同部門を閉鎖したことは認めるが、その余の事実は知らない。 四1 同第四項の1記載の事実は認める。
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2 同項2記載の事実は認める。しかし、債務者の主張する組合員の全員投票には、組合川崎支部所属の組合員の大部分が参加していない。 第六 債権者らの再抗弁 一 事業の経営者が、その経営上やむをえない事由により特定の事業部門を閉鎖するのに伴ない、同部門に勤務している従業員を整理しなけれならない場合であつても、事業の経営者としては、直ちにその従業員を解雇することが許されるものではなく、その従業員を他の事業部門に配置転換したり、希望退職者を募集したりするなどの方法により、解雇者の人数をできるかぎり縮小するように努めるべきであり、また、やむをえず従業員を解雇しなければならないときでも、公正、妥当かつ合理的基準に従い、解雇者を選定すべきである。しかるに、債務者は、アセチレン部門を閉鎖するのに伴ない、何ら右のような配慮をすることなく、直ちに同部門に勤務する従業員全員を解雇したものであるから、債務者のなした本件解雇通告は、雇用契約関係を規律する信義則に違反したものであり、また、権利を濫用したものであつて、無効というべきである。 二 債権者らは、いずれも組合川崎支部所属の組合員であり、従来から活発な組合活動を行なつてきたものである。ところで、債務者は、そのアセチレン部門を閉鎖するのを好機として、右のように活発な組合活動を行なつてきた債権者らを債務者会社の職場から排除し、組合川崎支部の団結力ないし団体行動力を弱体化する目的をもつて、債権者らを雇用したものである。したがつて、債務者のなした本件解雇通告は、不当労働行為であつて、無効である。 第七 再抗弁に対する認否 一 再抗弁第一項記載の事実および主張は争う。抗弁第三項において前述したとおり、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たつは、同部門の従業員全員を解雇する以外に方法がなかつたのである。 二 再抗弁第二項記載の事実のうち、債権者らが組合川崎支部の組合員であり、組合活動を行なつてきたことは認めるが、その余の事実および主張は争う。 第八 疎明関係(省略) 理   由 一 申請の理由第一項および第二項記載の各事実は、当事者間に争いがない。なお、債権者I本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第一七三ないし第一八五号証、成立に争いのない同第一八六ないし第一九八号証によれば、債権者Bは昭和三二年三月に、債権者Cは同三五年三月に、債権者Dは同二九年七月に、債権者Eは同年三一年三月に、債権者Fは同三五年一二月に、債権者Gは同二九年七月に、債権者Aは同三九年二月に、債権者Hは同三二年五月に、債権者Iは同年三月に、債権者Jは同年三月に、債権者Kは同三一年八月に、債権者Lは同三四年一二月に、債権者Mは同年同月に、いずれも債務者に雇用され(但し、これらの雇用の日時は、一部の債権者については、臨時工や雇員として雇用された日時を含む。)、以来債務者会社の川崎工場アセチレン部門においてアセチレンガス製造等の業務に従事してきたものであり、昭和四五年八月一五日現在においては、債権者Bは三一歳、債権者Cは二八歳、債権者Dは三七歳、債権者Eは三二歳、債権者Fは三〇歳、債権者Gは三五歳、債権者Aは五〇歳、債権者Hは三三歳、債権者Iは三一歳、債権者Jは三一歳、債権者Kは三二歳、債権者Lは二九歳、債権者Mは二七歳であつたことが認められる。 二1 そこで債務者の抗弁について判断するに、まず、就業規則第五二条本文、同条第八号に債務者の主張するとおりの規定があつたこと、債務者が、就業規則の右規定に基づく解雇であると主張して、昭和四五年七月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の従業員全員に対し、本件解雇通告をしたことは、当事者間に争いがない。 2 ところで、債務者が、本件のごとく特定の事業部門を閉鎖するのに伴ない、「やむを得ない事業の都合によるとき」に該当する事由があるとして、就業規則の右規定に基づき、同部門の従業員を有効に解雇するためには、同部門を閉鎖することが事業の経営上やむをえないものであると同時に、その従業員を解雇することもまた事業の経営上やむをえないものであり、さらに、その解雇の手続が社会通念上首肯すべきものであることを要するものと解すべきである。けだし、およそ解雇は従業員(さらにその家族)の生活に重大な影響を及ぼすものであるから、右規定の定める解雇の要件はこれを厳格に解釈し、当該事業部門の閉鎖およびその従業員の解雇の両者がいずれも事業の経営上やむをえないものであることを要すると解するのが相当であるとともに、右規定に基づく解雇は、通常従業員の側には何ら解雇の原因となるべき事由がないのにかかわらず、債務者側の一方的な都合によつて当該従業員の雇用契約上の地位を失わせることになるものであることに鑑み、その解雇の手続自体も社会通念上首肯すべきものであることを要すると解して、その解雇が従業員の生活に及ぼす影響をできるかぎり軽減するように配慮するのが相当であるからである。 3(一) ところで、債務者が昭和四五年八月一五日にアセチレン部門を閉鎖したことは、当事者間に争いがないので、まず、右閉鎖が債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたか否かについて検討する。
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(二)(1) 債務者が、酸素、アルゴン、窒素の製造、販売等を行なうほかに、昭和二八年から、アセチレンガスの製造、販売をも行なうことを計画し、川崎工場内にその製造部門を設置して、以来一七年間にわたり、その製造、販売を行なつてきたこと、債務者会社のアセチレン部門の業績が、少なくとも当初の約五年間は、一応順調な伸展を見せ、債務者も、これに応じて、同部門の設備の増強、拡大に努力してきたこと、昭和三四年ころから、中小の酸素製造者をはじめ、高圧ガス販売業者、カーバイト製造業者などがアセチレンガスの製造、販売を開始し、各地にその製造工場が群立して、その間の競争が激化するようになつたこと、昭和三八年ころから、プロパン、プロピレンなどの石油系溶断ガスが出現し、鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換える傾向が生じるに至つたことは、当事者間に争いがない。そして、証人Nの証言により真正に成立したと認められる疎乙第四号証の一ないし一五、同第五号証の一ないし六、同第六号証の一、二、同第八号証、同第九号証の一、二、同第一三号証、証人Oの証言により真正に成立したと認められる疎乙第一八号証、同第二二号証、証人N、同Oの各証言を総合すると、アセチレンガスの市況は、昭和三五、六年ごろから、次第に悪化し、債務者会社のアセチレン部門の収支も、昭和三八年上期から、赤字に転落するに至り、その赤字は、その後毎年累積して、債務者会社の計算によれば、昭和四四年下期に至るまでの赤字の合計額が金四億一六〇〇万円にも達したことが一応認められ(もつとも、この金額およびその基礎となつている右各疎明資料上の金額が細部においてどの程度正確なものであるかについては、これを確定するに足りる疎明がない。)、疎甲第八○号証、同第一七一号証、同第一七二号証の一、二、同第二二六号証の一、二も、右認定を大筋において左右するに足りるものではない。
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(2) そして、前掲疎乙第六号証の一、二、同第八号証、同第九号証の一、二、同第一八号証、同第二二号証、証人Nの証言により真正に成立したと認められる疎乙第七号証の一、二、同第一〇ないし第一二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる疎乙第六四号証、同第六七号証、同第六八号証の一、二、成立に争いのない疎乙第六六号証の一ないし六、同第六八号証の三ないし三三、証人N、同Oの各証言を総合すると、債務者会社のアセチレン部門の収支が、昭和三八年以降、右に認定したような相当額の赤字を出すに至つた主要な原因は、ほぼ債務者が抗弁第三項1の(二)および(三)において主張するとおり(もつとも、その(三)において主張する計数の正確性については、問題がないわけではない。)、一つは、昭和三四年ころ以来、多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出し、各地に工場が群立して、業者間の競争が激化するようになつたうえ、昭和三八年ころから、爆発についての危険性が低い石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産され、アセチレンガスの大口需要者である鉄鋼、造船、造機等の業者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになり、その結果、アセチレンガスの需要の伸びが鈍化するとともに、その価格が低落するに至つたことにあり、もう一つは、債務者会社のアセチレン部門の作業能率が他の業者のアセチレン部門のそれに比較してかなり低かつたため、右に述べたような市況の悪化を克服することができなかつたことにあると一応認めることができる。なお、債務者会社のアセチレン部門の作業能率に関連して、債務者は、抗弁第三項1の(四)において、右のアセチレン部門に所属する従業員の賃金水準が異常に高かつたと主張しているが、前掲疎乙第六八号証の一ないし三三、証人Pの証言も、いまだ十分に右主張を疎明するに足りるものではなく、その他にこの主張を疎明するに足りる資料はない。(三)(1) 右のようなアセチレン部門の業績の悪化に対処し、債務者がこれを防止するための努力を怠つていなかつたかについて見るに、昭和三四年当時における債務者会社のアセチレン部門の製造装置は、第一、第二工場ともに、毎時一五立方メートルのもの各四基であつたが、昭和三五年中に債務者が第二工場の製造装置四基を毎時三〇立方メートルのものに切り換えたこと、債務者が、アセチレンガスの大口需要者への供給の合理化を図るため、昭和三六年五月に、日本鋼管水江製鉄所へのパイプラインとガス昇圧ブロワー装置を完成し、昭和三八年一一月に、日立造船神奈川工場へのパイプラインを完成させたことは、当事者間に争いがなく、また、前掲疎乙第一二号証、証人Nの証言によれば、債務者は、アセチレンガスの販売量を増加させるため、昭和三四年から同三七年までの間に、それまでは債務者所有のアセチレン容器が約一万六〇〇〇本(一本当たりの充填量は約六キログラム)にすぎなかつたのを約三万三〇〇〇本に増加させていることが認められる。そして、これらの事実と前掲疎乙第六四号証、証人Nの証言により真正に成立したと認められる疎乙第一四号証の一ないし四、証人N、同Oの各証言とを総合すると、債務者としては、アセチレン部門の生産能力の増強、アセチレン容器の増加、大口需要者に対する供給設備の改善等につきそれなりの努力をしてきたことが一応認められる。しかし、前掲疎乙第八号証、同第一四号証の一ないし四、同第六四号証、証人Nの証言によれば、債務者会社の設備投資は、大手同業者のそれと比較して、必ずしも十分なものではなかつたし、また、折角行なつた右のような努力も所期の成果をあげることができなかつたことが認められ、そして、前掲乙第一八号証、同第二二号証、証人O、同Pの各証言によれば、債務者会社の設備投資が十分なものでなく、また、それが所期の成果をあげえなかつた一つの原因は、債務者会社アセチレン部門における労使関係の不安定にあつたように認められる。(2) そこで、債務者会社アセチレン部門における労使関係について見るに、債権者I本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第三七号証、前掲乙第一八号証、同第二二号証、証人O、同Pの各証言、右債権者本人尋問の結果を総合すると、昭和三六年から同三七年にかけ、債務者が千葉工場内に新設した液酸工場への要員を川崎工場その他の従業員の中から捻出して配転することを組合に提案したことから、川崎工場のアセチレン部門においても、要員の過不足や適正配置をめぐる労使間の紛争が発生するに至つたこと、この問題は、債務者と組合川崎支部との交渉の結果、昭和三七年五月一四日、労使間に債務者が抗弁第三項2の(二)おいて主張するような内容のいわゆる二〇名要員覚書協約を締結して、一応の解決を見たこと、しかし、債務者は、その後も、人件費を節減してアセチレンガスの製造原価の引下げを図る必要から、組合に対し、要員の縮減と作業能率の向上とを求めたのに対し、組合は、従業員の労働強化であるとして、これに強く反対したこと、そして、その後、アセチレン部門の労使間には、要員問題をめぐり、昭和三七年一二月二〇日のいわゆる一九名要員団交確認、昭和三八年七月一五日のいわゆる一六名要員覚書、昭和三九年五月四日のいわゆる日立送アセ問題に関する一九名要員等確認、昭和四二年一一月一一日のいわゆる一四名要員覚書、昭和四四年一月一八日のいわゆる機械運転台数規制を含む一四名要員覚書などの協約が締結されたが、いずれも暫定的なものにすぎず、労使間の紛争は依然絶えなかつたこと、さらに、その間の昭和四二年には、労使間における民事訴訟事件や従業員による威力業務妨害等の刑事事件まで伴なつた九か月余りにわたる長期紛争が発生するなどのこともあつて、労使関係が安定しないまま、昭和四五年を迎えるに至つたことが一応認められる(なお、以上の事実のうち、債務者と組合ないし組合川崎支部との間にアセチレン部門の要員問題をめぐる紛争が発生したこと、債務者と組合川崎支部との間に右に述べたような覚書、確認などの協約が締結されたことは、当事者間に争いがない。)もつとも、以上の長期間にわたる労使間の紛争の対象となつた個々の問題につき、労使の主張のいずれが合理的なものであつたか、また、その個々の決着が妥当なものであつたか否かについては、ここでは、これを確認するに足りる疎明がない。
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四(1) ところで、前掲乙第四号証の一ないし一五、同第五号証の一ないし六、同第六号証の一、二、同第八号証、同第九号証の一、二、同第一三号証、同第二二号証、同第六四号証、証人N、同O、同Pの各証言を総合すると、前記認定のとおり、債務者会社のアセチレン部門の収支は、昭和三八年以降、相当額の赤字を生ずるに至り、債務者会社の計算によれば、昭和四四年下期に至るまでの赤字の累計額は金四億一六〇〇万円にも達したが、その原因が、前記(二)の(2)において認定したように、アセチレン業界の構造の変化と債務者会社のアセチレン部門の作業能率の低さにあつたのに加えて、昭和四〇年代に入ると、アセチレンガスの原料であるカーバイトの慢性的品不足による価格の高騰、経済全体の高度成長に伴なう人件費や運賃の急激な増大の傾向が続くようになつたため、アセチレンガスの製造原価の上昇傾向は不可避なものとなり、昭和四四年には、アセチレンガス一キログラムの販売価格が約金一九七円であつたのに対し、その製造原価は約金二六九円にも達したこと、その結果、通常の努力や工夫をもつてしては、アセチレン部門の赤字を黒字に転ずることは不可能であると考えられるようになるとともに、前記(二)の(2)において認定したような事情から、組合ないし組合川崎支部に対し、要員の縮減や作業能率の向上を求めることも困難であると考えられるに至つたこと、昭和三八年以降も、債務者会社の酸素部門等はかなりの業績をあげており、債務者会社全体の収支は相当額の黒字であつたが、昭和三八年から同四四年に至るまでのアセチレン部門の赤字の合計額は約金四億一六〇〇万円であつたのに対し、その間における債務者会社全体の純利益の合計額は約金一七億二九〇〇万円であつたから、アセチレン部門をこのままの状態で存続すれば、債務者会杜全体の経営にも深刻な影響を及ぼすことが予測されたこと、さらに、債務者会社の主たる製造部門である酸素部門は、右のようにかなりの業績をあげていたものの、これを大手同業者のそれと比較すると、相当の立遅れを余儀なくされており、例えば、系列下のオンサイトプラントおよび共同製造会社を含めた大手同業者間の酸素の生産能力を比較すると、昭和四五年には、債務者が抗弁第三項3の(一)において主張するとおりの格差が生ずるに至つていたことを一応認めることができ、この認定を覆すに足りる疎明はない。なお、証人Nの証言により真正に成立したと認められる疎乙第一五号証によると、債務者会社の株式の配当率は、昭和三七年には無配であつたものが、昭和三八年下期から年四分に、昭和四一年上期から年六分に、昭和四二年下期から年八分に、さらに昭和四四年下期から年一割にそれぞれ増加していることが認められるけれども、いまだ右認定を覆すに足りるものではない。(2) なお、前掲疎乙第七号証の一、二、同第六四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる疎乙第四六号証によれば、昭和三八年ころ以降における酸素製造業者兼営のアセチレン部門の業績の悪化ないしその経営の不利は、ひとり債務者会社に特有の問題ではなく、大なり小なり業界共通の問題であつて、債務者会社のアセチレン部門を含む昭和四三年までに開設された全国の酸素製造業者兼営のアセチレン部門の総数三五(うち大手業者のもの一八)のうち、昭和三九年から同四八年までの間に閉鎖されたものは一六(うち大手業者のもの一一、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖の時点より早い時点で閉鎖されたもの八)にのぼつており、さらに、昭和五〇年七月現在で見ると、大手酸素製造業者兼営のアセチレン部門は全部閉鎖されていることが認められる。そして、これらの事実と前掲疎乙第六四号証、証人N、同Oの各証言を総合すると、右のように昭和三八年ころ以降酸素製造業者によるアセチレン部門の兼営が不利なものになつた原因は、前記認定のように、昭和三四年ころから多数の業者がアセチレンガスの製造業界に進出して、業者間の競争が激化するようになるとともに、昭和三八年ころから石油系溶断ガスが大量かつ安価に生産され、アセチレンガスの大口需要者がアセチレンガスの使用を石油系溶断ガスの使用に切り換えるようになつたのに加えて、アセチレンガスの製造工程が極めて簡単で、かつ、労働集約的なものであるため、製造設備の近代化や大型化による経費節減の余地が少なく、酸素製造業者などによる大経営方式よりもアセチレンガスの専業製造業者による小経営方式の方が有利になつたことにあるものと一応認めることができる。 (五) そして、成立に争いのない疎甲第五号証の一、二、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一、二、証人O、同Pの各証言によれば、債務者は、具体的には昭和四四年一〇月ごろから、アセチレン部門の存廃についての検討を重ねた末、前記認定のような事情のもとにおいては、同部門の収支の早期改善はも早ほとんど期待することができないと判断して、同部門を全面的に閉鎖するなどこれを債務者会社の経営から切り離す以外に方法がないという結論に達したこと、しかし、アセチレン部門の閉鎖は、同部門に勤務している従業員の生活に重大な影響を及ぼすことにたるため、昭和四五年三月ごろから、同部門の従業員の雇用をできるだけ継続したまま、同部門の営業を第三者に譲渡する案や、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案などを検討し、とくに後者については、同年三月三〇日、組合川崎支部との団体交渉において提案したこと、しかし、前者は、同部門の営業をそのまま引き受けてくれる適当な第三者を見出すことができず、また、後者は、組合川崎支部の承諾を得ることができなかつたため、いずれも実現するに至らなかつたこと、債務者は、その後も検討を重ねたが、結局、同年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇すると決定したことを一応認めることができる(なお、以上の事実のうち、債務者が昭和四五年三月三〇日組合川崎支部に対しアセチレン部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示したことは、当事者間に争いがない。)。 (六) 以上に認定、判断したどころから考えると、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに至つたことは、債務者会社の事業の経営上一応やむをえないものであつたということができる。 4(一) そこで、次に、債務者がアセチレン部門を閉鎖するのに伴ない同部門の従業員全員を解雇したことが、債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたか否かについて検討する。
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(二) 債務者も自認するとおり、およそ事業の経営者がその経営上やむをえない事由により特定の事業部門を閉鎖したければならないときでも、同部門に勤務している従業員の解雇は昀少限に止めるのが望ましいことはいうまでもないから、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たつても、まず、同部門の従業員を債務者会社の他の事業部門に配置転換するとか、同部門の従業員ないし債務者会社全体の従業員の中から希望退職者を募集するとかの方法を講じることにより、同部門の従業員の解雇をできるだけ回避するように努めるべきであつたのであり、もし右のような方法を講じることが可能であつたのにかかわららず、それをすることなく、同部門の従業員全員を解雇したものであるとすれば、その解雇はいまだ事業の経営上やむをえないものであつたとはいえないものと解すべきである。(三) ところで、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、右のような配置転換、希望退職者の募集等の方法を講じることを考慮したかについて検討するに、前掲疎乙第二二号証、証人O、同Pの各証言によれば、債務者は、アセチレン部門の閉鎖を決定するに当たり、同部門の従業員につき右のような方法を講じうるか否かを検討したが、債務者が抗弁第三項3の(三)において主張するとおりの理由により、そのような方法を講じることは不可能または困難であるとの結論に達したことが一応認められ、この認定を覆すに足りる疎明はない。そこで、さらに、債務者のなした右のような判断が相当なものであつたか否かについて検討しなければならない。 四(1) まず、債務者は、債務者会社においてはアセチレン部門は川崎工場にしかなかつたのであるから、同部門の従業員を債務者会社の他の工場のアセチレン部門に配置転換するということは不可能であると判断したというが、債務者会社のアセチレン部門が川崎工場にしかなかつたことは当事者間に争いのないところであるから、右判断が問題のないものであつたことはいうまでもない。(2) 次に、債務者は、アセチレン部門と酸素部門等とでは、作業工程が異なり、作業技能の面において互換性が乏しいため、アセチレン部門の従業員をそのまま酸素部門等に配置転換することは困難であると判断したという。たしかに、前掲疎乙第二二号証、証人O、同Pの各証言によれば、アセチレン部門と酸素部門等とでは作業工程や職務内容が異なり、前者の従業員を後者の従業員に配置転換する場合には、多少の教育や再訓練を必要とすることが一応認められる。しかしながら、アセチレン部門と酸素部門等とで、作業工程や職務内容が具体的にどの程度異なり、どのような教育や再訓練を必要とするのかについては、十分な疎明がない。のみならず、債権者I本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疎甲第二〇二号証の一、二、同第二〇三ないし第二〇五号証、同第二〇六号証の一、二、同第二〇七号証の一、二、同第二〇八号証、証人Oの証言により真正に成立したと認められる疎乙第二四号証、証人O、同Pの各証言、債権者I本人尋問の結果を総合すると、従来、債務者会社においては、アセチレン部門の従業員の中から酸素部門その他の部門への配置転換を命じた先例がかなり多数あり、また、昭和四一年一二月には、債務者が組合川崎支部に対してアセチレン部門の従業員七名を酸素部門に配転したいと提案した先例もあつたこと、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などの大手酸素製造業者がその兼営のアセチレン部門を閉鎖するに際しても、同部門の従業員を酸素部門その他の部門に配置転換していること、さらに、本件解雇通告後、アセチレンガス製造業以外の種々の職種の会社が債務者に対し被解雇者を対象とする求人の申込みをしていることを一応認めることができる。したがつて、アセチレン部門と酸素部門等とでは、作業工程が異なり、作業技能の面で互換性が乏しいというだけの理由で、その間の配置転換が困難であるというのは相当でないというべきである。
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(3) また、債務者は、酸素部等においても従来からかなりの過剰人員があり、とくに昭和四〇年以降は、従業員の新規採用を停止するとともに、定年、自己都合退職等の自然減員を待つて人員の圧縮に努めてきたという事情にあり、アセチレン部門の従業員を受け入れる余裕は全くないと判断したという。たしかに、債務者が昭和四〇年以降一部の女子事務員を除く従業員の新規採用を停止していたことは、当事者間に争いがなく、また、前掲疎乙第二二号証、証人O、同Pの各証言によれば、債務者が、酸素部門等においてもかなりの過剰人員があると主張して、右のように一部の女子事務員を除く従業員の新規採用を停止するとともに、定年、自己都合退職等の自然減員による人員の圧縮に努めてきたことが一応認められる。しかし、反面、成立に争いのない疎甲第二九九号証の一ないし六九、同号証の九〇ないし一〇一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる疎甲第二九九号証の七〇ないし八九、同号証の一〇二、証人Pの証言にり真正に成立したと認められる疎乙第二七号証、証人Oの証言、債権者I本人尋問の結果を総合すれば、債務者は、昭和四〇年から本件解雇通告のころまでの間に、女子従業員約五〇名、男子従業員(保安係)二名を新しく採用したほか、定年で退職した男子従業員約二〇名を嘱託として残留させていること、右女子従業員の中には従前男子従業員が従事していた職場に配置されている者もあること、債務者は、本件解雇通告後昭和四九年一二月までの間に、男女従業員一二〇名余り(うち男子従業員七〇名余り)を採用していること、そして、本件解雇通告の対象となつたアセチレン部門の従業員をも含めた昭和四五年四月一日現在の債務者会社全体の従業員数は五三二名であつたが、昭和四〇年以降における定年、自己都合退職等による自然減員数は年間三、四〇名にものぼつていたことが一応認められる。しかも、前記認定のとおり、昭和三八年以降においても、債務者会社の酸素部門等はかなりの業績をあげていたのであつて、アセチレン部門の収支が赤字であつたにもかかわらず、債務者会社全体の収支は依然相当額の黒字を続けていたし、株式の配当率をも順次増加させていたのである。そこで、以上の事実を総合して判断すると、昭和四五年八月当時の債務者会社の状況のもとにおいても、債務者の側に従業員の立場と利益に対する配慮の気持ちと実行の意思さえあれば、アセチレン部門の従業員の全部または少なくともその一部を酸素部門その他の部門に配置転換することも不可能ではなかつたと認めるのが相当であり、その余裕が全くなかつたというのは不自然である。因みに、前掲疎甲第二〇二号証の一、二、同第二〇三ないし第二〇五号証、同第二〇六号証の一、二、同第二〇七号証一、二、同第一二八号証、前掲疎乙第四六号証、証人Oの証言、債権者I本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などの酸素製造業者がその兼営のアセチレン部門を閉鎖した際には、いずれも同部門の従業員(その人員も多い場合には、二十数名から四十数名にのぼる。)をその他の部門に配置転換するなどの方法を講じることにより、整理解雇者を一名も出していないことが一応認められるのであるが、反面、右各業者がそのアセチレン部門を閉鎖した当時、それらの業者には、その他の部門にアセチレン部門の従業員を吸収するに足りる欠員があつたという疎明はないのであるから、右のような処置は、いずれも右各業者がその従業員の立場と利益を考慮して、それ相当の工夫と努力を凝らした結果であると推定すべきであろう。
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(4) さらに、債務者は、川崎工場の全従業員の中から希望退職者を募集するという方法を採ることは、債務者会社の全従業員に動揺を生じさせるばかりでなく、当時の求人難の状況下においては、他の同業者等による債務者会社の熟練労働者の引抜きを誘発する原因となるおそれが大であると判断したという。昭和四五年当時は、わが国の経済が高度成長期にあり、求人難の状況であつたことは、公知の事実であるから、債務者が右のような懸念を抱いたということ自体には一理がないわけではない。しかしながら、前記認定のとおり、当時におけるアセチレン部門の閉鎖は、ひとり債務者会社にかぎられた問題ではなく、業界共通の問題であり、とくに大手の酸素製造業者においてその実施の例が多かつたのであるから、仮に債務者が右のような希望退職者募集の方法を採つたとしても、事前に全従業員に対しそれが業界共通の問題であるアセチレン部門の閉鎖に伴なう措置であることを十分に説明しさえすれば、従業員の動揺や熟練労働者の引抜きをそれほどおそれる必要はなかつたのではないかと推測される。さらにまた、仮にそうでなかつたとしても、前掲疎乙第二二号証、同第二四号証、証人O、同Pの各証言によれば、本件解雇通告を受けた者の中には、その通告を受けた直後に、川崎工場長であるOに対し、アセチレン部門が閉鎖され、会社を辞めることになるのはやむをえないが、解雇では家族にも肩身が狭いので、せめて任意退職の形にしてほしいという希望を述べた者が数名いたこと、本件解雇通告を受けた四七名のうち一七名は、昭和四五年八月一五日またはその直後の段階で、任意退職の形式により債務者会社を辞めているし、さらに、その余の三〇名のうち債権者らを除く一七名も、結局、後日同様の形式で退職していること、他方、本件解雇通告後、かなり多数の会社が債務者に対し被解雇者を対象とする求人の申込みをしていることが一応認められるのであるから、債務者としては、まずアセチレン部門の従業員のみを対象とする希望退職者募集の方法を試み、それでもなお債務者会社に残留することを希望する者がある場合には、その者につき配置転換の方法を考慮するということも可能ではなかつたかと思料される。したがつて、以上のような事情からすると、債務者が希望退職者募集の方法を嫌忌したことは、あまりにも自己防衛本位にすぎ、解雇される従業員の立場や利益を軽視したものであるとの批判を免れることはできないであろう。(5) なお、債務者が、アセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇を決定するより前である昭和四五年三月三〇日、組合川崎支部との団体交渉において、同部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案を提示したが、結局組合川崎支部の承諾を得ることができず、実現するに至らなかつたことは、前記認定のとおりである。しかし、前掲疎甲第五号証の一、二、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一、二、疎乙第二二号証、証人O、同Pの各証言、債権者I本人尋問の結果によれば、債務者は、右別会社案の提示に当たつては、ただ、アセチレン部門は累積赤字を抱え先行好転の見込みもないので、生産を継続してゆくことは不可能である、そこで、もし同部門の従業員にその責任と計算で同部門を独立経営してゆく意思があれば、その経営を従業員に任せたい、その場合には債務者もできるかぎり応援する、一週間以内にその意思の有無について回答してほしいなどと述べ、ひたすら債務者による同部門の経営存続の不可能性を強調するとともに、従業員による経営の意思の有無の回答を求めたのみで、従業員による経営存続の構想やその可能性、債務者の応援の内容、赤字の原因やその解消の方法等については何ら具体的な説明や提案をしなかつたこと、そこで、組合川崎支部としても、右提案につき具体的な検討の仕様がなく、結局、同年四月七日の団体交渉において、債務者の提案は経営の責任を従業員に転嫁するにすぎないものであつて納得できない、したがつて、右提案は検討に値いしないと述べ、これを承諾しなかつたこと、そして、右の別会社案は、現実には、従業員数の大幅な縮減による人件費の節減を図るのでなければ、実行の可能性のないものであつたことが一応認められる。したがつて、右提案は、元来、アセチレン部門の従業員の解雇を回避するためになされた合理的な提案であつたとはいえたいものであるから、この提案をもつて同部門の従業員の配置転換等に準じる措置であつたといえないのはもとより、組合川崎支部がこの提案を承諾しなかつたことをもつて債務者会社の事業の経営上本件解雇通告もやむをえないとする理由の一つとなしえないものであることも明らかである。(五) そうすると、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、同部門の従業員の配置転換、希望退職者の募集等の方法を講じて従業員の解雇の回避に努力することなく、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことは、いまだ債務者会社の事業の経営上やむをえないものであつたと解することはできないというべきである。
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(三)(1) ところで、以上の事実関係を一見すると、債務者のなした右解雇の手続自体には格別問題がなかつたかのようにも見える しかしながら、事案をさらに掘り下げ、当事者双方の事情を総合して考察すると、債務者の行なつたアセチレン部門の閉鎖およびそれに伴なう右解雇手続の進め方は、かなり唐突であり、性急であつたと判断せざるをえないように思う すなわち、債務者が取締役会においてアセチレン部門の閉鎖および同部門の従業員の解雇を決定したのは昭和四五年六月五日であり、その閉鎖および解雇の決定を組合および組合川崎支部にはじめて通知したのは同年七月一六日であり、債権者らに対し本件解雇通告をしたのは同月二四日であり、そして、その閉鎖および解雇を実施したのは、右通知の日からでも約一か月、右通告の日からはわずかに約二〇日間を経過したにすぎない同年八月一五日であつたが、前記認定のとおり、債務者会社のアセチレン部門の収支が赤字を出すに至つたのは昭和三八年からであつて、その後七年余りの間赤字経営を継続してきたのであり、昭和四五年になつて同部門に突発的な緊急事態が発生したわけではないし、また、当時は、アセチレン部門の収支こそ赤字であつたものの、債務者会社全体は相当の業績をあげていたのである そして、当時債務者会杜にこのように性急にアセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇を実施しなければならない特別の事情が存在じたことについては十分な疎明がないのである 他方、債権者らは、昭和四五年当時、いずれも債務者会社のアセチレン部門に勤務していたものであるが、前記の認定から明らかなとおり、その大部分は、二〇歳前後の年齢で債務者に雇用され、以来一〇年またはそれ以上の長期間アセチレンガス製造等の業務に従事してきたものであるし、しかも、前掲疎甲第一七三ないし第一八五号証、債権者I本人尋問の結果によれば、債権者らは、いずれも特別の資産等はなく、債務者から支払いを受ける賃金、一時金等のみによつて生計をたてていたものであつて、いわばその生活全体を債務者会社での勤務にかけていたものであることが一応認められる そして、前掲疎甲第五号証の一、二、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一、二、債権者I本人尋問の結果によれば、債権者らは、昭和四五年三月三〇日、債務者と組合川崎支部との団体交渉において、債務者から、アセチレン部門の従業員を経営主体とする別会社を設立する案の提示を受けたので、少なくともそのころからは、債務者が同部門の収支の赤字に苦慮し、同部門の存廃をも問題にしていることを知つていたものと推認することができるが、しかし、債権者らも、債務者が、このように突然に、アセチレン部門を閉鎖すると同時に、同部門の従業員全員を解雇するに至るであろうことまでは予測しえなかつたものと考えられるし、また、昭和四五年当時は、経済の高度成長期で求人は比較的に多かつたとはいえ、一旦整理解雇された者が、その後わずか二〇日間や一か月で、適当な再就職先(就職先はどこでもよいということはできない )を見出しうるとの保障はなかつたのである なお、前掲甲第二〇二号証の一、二、同第二〇三ないし第二〇五号証、同第二〇六号証の一、二、同第二〇七号証の一、二、同第二〇八号証によつて認められる、帝国酸素、日本酸素、大同酸素などにおけるアセチレン部門の閉鎖の例を検討しても、債務者会社におけるアセチレン部門の閉鎖の場合のようにその実施が短兵急になされた例は見当らないのである したがつて、以上のような事情を総合して見れば、債務者会社の行なつたアセチレン部門の閉鎖およびそれに伴なう従業員の解雇手続の進め方は、あまりにも自己防衛本位で、従業員の立場や都合を考えない唐突かつ性急なものであつたと評価されてもやむをえないであろう (2) また、右(二)に述べた事実関係から見ると、債務者会社のアセチレン部門の閉鎖および従業員の解雇については、組合も結局これをやむをえないとして了承しているかのように認められ、それが正当なものであつたかのように見えかる
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5(一) 右判断したとおり、債務者がアセチレン部門を閉鎖するに当たり、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことは、いまだ事業の経営上やむをえないものであつたとは解しがたいのであるが、さらに、その解雇の手続自体が社会通念上首肯すべきものであつたか否かについて考察する。(二) まず、右解雇の手続に関する事実関係について見るに、前掲疎第二二号証、証人O、同Pの各証言によれば、債務者は、前記認定のとおり、昭和四四年一〇月ごろから、アセチレン部門の存続についていろいろ検討を重ねた結果、昭和四五年六月五日の取締役会において、アセチレン部門を全面的に閉鎖するとともに、同部門に勤務している従業員全員を解雇することを決定し、さらに、その後、その具体的な日時および方法について検討したうえ、同年七月上旬、右閉鎖および従業員解雇の日を同年八月一五日とし、解雇者に対しては、退職金規定による退職金のほか、債務者の主張するとおりの特別加給金、予告手当および帰郷旅費を支払うことなどを決定したことが一応認められ、そして、右決定に基づき、債務者が、昭和四五年七月一六日、組合および組合川崎支部に対し、右決定の趣旨を通知するとともに、全従業員に対し、右閉鎖および従業員解雇の理由を説明したアセチレン工場部門白書を配布し、さらに、同月二四日、債権者らを含むアセチレン部門の全従業員に対し、本件解雇通告をするとともに、同年八月一五日、同部門を閉鎖するに至つたことは、当事者間に争いがない。また、アセチレン部門の閉鎖およびその従業員の解雇の問題につき、債務者が、抗弁第四項の1および2において主張するとおり、昭和四五年七月一六日から同年一〇月一二日までの間に、組合本部と団体交渉を行ない、結局、組合との間で、債務者会社の事業の都合による本件解雇を従業員の希望退職の取扱いとすること、退職する従業員に対し一人金一六万円の餞別金を支払うことなどの合意をなし、同年一〇月一二日、この合意を確認する覚書を作成したことも、当事者間に争いがない。 (五) そうすると、債務者のなしたアセチレン部門の従業員の解雇の手続自体も、いまだ社会通念上首肯すべきものであつたと解することはできないというべきである。 6 以上で判断したところを要約すると、債務者がアセチレン部門を閉鎖したこと自体は事業の経営上一応やむをえないものであつたということができるが、しかし、債務者が、同部門を閉鎖するのに伴ない、直ちに同部門の従業員全員を解雇する措置に出たことはいまだ事業の経営上やむをえないものであつたと解することができないし、さらに、その解雇の手続自体もいまだ社会通念上首肯すべきものであつたと解することはできないから、債務者のなした本件解雇通告によつては、いまだ就業規則第五二条本文、同条第八号の規定に基づく解雇の効力は生じていないものというべきである。したがつて、債務者の抗弁は、結局その理由がなく、採用することができない。 三 そうすると、債権者Aを除くその余の債権者らは、昭和四五年八月一六日から現在に至るまで、依然債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあるものであり、また、債権者Aは、昭和四五年八月一六日から同債権者が定年に達したことに争いのない昭和五〇年三月三一日に至るまでの間、右同様の地位にあつたものであるといわなければならない。したがつてまた、債権者らは、それぞれ債務者に対し、右各地位にある期間またはその地位にあつた期間その他位に基づいて生じる賃金、一時金その他の労働の対償としての金印の支払いを請求することができるものというべきである。 四1 そこで、以下において、債権者らが債務者に対し右各地位に基づく労働の対償として支払いを請求しうる金員の種目およびその金額について検討する。 2 賃金 (一) 債務者会社の従業員の賃金体系が、債務者らが申請の理由第三項2の(一)において主張するとおりであることは、当事者間に争いがなく、そして、右賃金体系の内容と弁論の全趣旨によれば、この賃金体系に基づいて算定され支払われる金員すなわち賃金が、債務者会社の従業員が債務者に対し労働の対償として支払いを請求しうる金員に属することは明らかである。 (二) ところで、債権者らは、本訴において、昭和四五年八月分の未払賃金、昭和四五年九月分から同五〇年三月分までの賃金および昭和五〇年四月分以降の賃金(但し、債権者Aについては、昭和五〇年四月分以降の賃金を除く。)の仮払いの仮処分を求め、そして、これらの賃金額の算定の根拠およびその方法等についていろいろ主張しているのであるが、これらの主張のうち、債権者らの昭和四五年五月から七月までの三か月間の総賃金額および同年八月一五日当時の基準賃金額ならびに債務者が債権者らに対し同年八月一日から一五日までの賃金等として支払つた金額が債権者ら主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。しかしながら、債権者らのその余の主張、とくに昭和四六年度以降における債権者らの定期昇給額および臨時昇給額の算定方法、昭和四五年八月一六日以降における債権者らの基準外賃金の算定根拠ならびに昭和四九年四月以降における債権者Bら五名の交替勤務手当の算定根拠等に関する主張については、債務者がこれを争つているのにかかわらず、これらの争点やその前提問題である、債務者会社における職能給の査定の具体的な方法や実態、昭和四五年八月一五日以前および同月一六日以後における債権者らとその他の従業員(または組合員)の勤務実績ならびに債務者会社における早出、残業、休日出勤等の時間外等勤務および三班三交替勤務の実施状況等については、いまだ十分な疎明資料が提出されていない。したがつて、右各争点に関する債権者らと債務者の双方の主張のうち、いずれが、債務者会社における賃金算定の実態や慣行に合致し、また、債権者ら以外の従業員との関係において公平、妥当なものであるかについては、これを確定することが困難である。そうすると、右各争点に関する債権者らの主張はにわかに採用することができず、本訴においては、一応金額的により内輪な債務者の主張に従い、その認める方法と範囲で、債権者らの賃金の金額を算定するほかない。そこで、前記の争いのない事実関係(賃金体系を含む。)と右のような算定方法とにより債権者らが仮払いを求める前記の各賃金額を算定すると、その各金額は、別紙乙の各表に表示の各債権者の賃金請求額欄に記載されたとおりの金額となる。 3 一時金
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(一) 債務者が昭和四五年の年末から同四九年の年末までの各夏季および年末にその従業員に対し債権者らの主張するとおりの各一時金を支払つたことは、当事者間に争いがなく、そして、これらの事実と、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる疎甲第二一二、第二一三号証によれば、これらの各一時金も、債務者会社の従業員が債務者に対し労働の対償として支払いを請求しうる金員に属するものと認めることができる。 (二) ところで、右疎甲第二一二、第二一三号証と弁論の全趣旨によれば、右各一時金の金額は、債務者の主張するとおり、各従業員の特定時(夏季一時金についてはその年の三月末、年末一時金についてはその年の九月末)における基準賃金の金額を基準として、その都度債務者と組合との間で協定される計算方法により算定されるものであることが認められるが、その基礎となるべき基準賃金額に加算する定期昇給額および臨時昇給額の算定方法については、当事者間に争いがある。そして、この点についても、賃金額の算定に関して前述したのと同様の理由で、債権者らの主張はにわかに採用することができないので、本訴においては、一応債務者の主張に従い、債権者らの各一時金の金額を算定するほかない。そこで、前記の争いのない事実関係と債務者の主張する方法とにより、昭和四五年の年末から同四九年の年末までの各一時金の金額を算定すると、その各金額は、別紙乙の各表に表示の各債権者のボーナス合計欄に記載されたとおりの金額となる。なお、債権者Aを除くその余の債権者らの昭和五〇年以降の各一時金の金額については、これを確定するに足りる疎明がない。 4 食費補助金、理髪補助金、文化会補助金および夏季レクリエーシヨン補助金債務者が債権者ら主張の基準による食費補助金、理髪補助金(但し、構内に理髪施設のない事務所の従業員に対してのみ)、文化会補助金および夏季レクリエーシヨン補助金を支出していたことは、当事者間に争いがない。しかしながら、これらの補助金が債務者会社の各従業員に対し一律にその労働の対償として支払われていたものであることを肯認するに足りる疎明はなく、かえつて、弁論の全趣旨によれば、これらの各補助金は、債務者会社の各従業員の労働の対償としてではなく、その福利厚生のための資金として支出されていたものにすぎないと一応認めるのが相当である。したがつて、各従業員が直接債務者に対し労働の対償としてこれらの補助金の支払いを請求することができるという債権者らの主張は、その理由がない。 5 慶弔金および永年勤続者表彰金 債務者が従来その従業員に対し債権者ら主張の基準による慶弔金および永年勤続者表彰金を支払つてきたことは、当事者間に争いがなく、この事実と弁論の全趣旨によれば、右の慶弔金および永年勤続者表彰金は、本来的には労働の対償とはいえないが、しかし、これらはいずれも、規則に従い、一定の支払条件のもとに、所定の慶弔または永年勤続という支払原因が生じた従業員に対し例外なく支払われるものであることが一応認められるから、これらは、各従業員の労働の対償としての賃金を補う給付と解すべきであつて、賃金に準じて取り扱うのが相当である。そして、前掲疎甲第一七三ないし第一八五号証、同第一八八、第一八九号証、同第一九七、第一九八号証、同第二一三号証と弁論の全趣旨によれば、債権者らについては、昭和四五年九月から同四九年一二月までの間に、それぞれ債権者らの主張するとおりの各慶弔金および永年勤続者表彰金の支払いを受けうる原因が生じたことを一応認めることができる。したがつて、債権者らは、債務者に対し、債権者ら主張の右各金員の支払いを請求することができるものというべきである。 6 通勤費 債務者が従来その従業員に対し債権者ら主張のとおりの通勤費を支払つてきたことは、当事者間に争いがない。しかしながら、この通勤費が、従業員の労働の対償としての給付であるのか、それとも、従業員の通勤に要する実費の支弁にすぎないのかについては、これを確定するに足りる疎明がない。したがつて、債務者に対し労働の対償として右通勤費の支払いを請求することができるという債権者らの主張は、いまだこれを採用することができないというべきである。五 ところで、前掲疎甲第一七三ないし第一八五号証、債権者I本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、債権者らは、いずれも債務者から支払いを受ける賃金、一時金その他の金員のみによつて生計をたてている労働者であつて、それ以外に格別の資産、収入等がないこと、そして、債権者らの多くは、妻子や父母を抱え、兄弟や知人からの借金、生活保護の給付等により、生活を継続していること、したがつて、債権者らが本案判決確定の日に至るまでの間債務者から右賃金等の支払いを受けられないとすると、現今の物価の上昇の激しい折から、債権者らおよびその家族は、その生活が困窮し、著しい損害を蒙るおそれのあることが一応認められ、この認定を左右するに足りる棟明はない。そうすると、債権者らの本件各仮処分申請はこれを認める必要があるというべきであるが、しかし、当面の仮処分としては、債権者Aを除くその余の債権者らがいずれも債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるとともに、債務者に対し、昭和五〇年三月三一日までの間に支払期限の到来した各債権者の賃金、一時金、慶弔金および永年勤続者表彰金の総合計金である別紙乙18に表示の各債権者の賃金等総額合計欄に記載された各金員を債権者ら全員にそれぞれ仮に支払うことおよび昭和五〇年四月から本案判決確定の日に至るまで毎月二〇日かぎり債権者Aを除く各債権者の各一か月分の賃金である別紙乙19の1および2に表示の各債権者の賃金請求額欄に記載された各金員を債権者Aを除くその余の債権者らにそれぞれ仮に支払うことを命ずればその目的を達しうるものと解すべきである。とくに、債権者Aを除くその余の債権者らの昭和五〇年以降の各一時金については、その金額を確定するに足りる疎明がないことは前記認定のとおりであるから、今ここでこれらの各一時金の仮払いを命ずる仮処分を認めることは相当でないというべきである。 六 よつて、債権者らの本件各仮処分申請は、主文第一、第二項記載の仮処分を求める限度においては、その被保全権利の存在および保全の必要性についての疎明があるから、これを認容し、その余は、その被保全権利の存在または保全の必要性についての疎明が足りず、かつ、保証をもつてその疎明に代えるのも相当でないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。 (別紙省略)
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論旨は、原判決の事実誤認を主張し、いわゆる「信頼の原則」からみて、被告人には原判決認定のような過失はない、というのである 案ずるに、原判決挙示の証拠および当審における事実取調の結果によれば、本件事故現場の道路は、国道a号線上の市街地を東西に通ずる歩車道の区別のない、アスフアルト舗装された見とおしのよい直線道路で、その幅員は約九・七メートル(道路の両側の幅員約〇・七メートルのコンクリート蓋のある側溝部分を含めると約一一・一メートル)で、その中央にはセンターラインが引かれ、同ラインから両側へ約四メートルのところに白色の外側線が引かれていて、当時右外側線から外側、側溝上を含めての外側端が事実上歩道(現行法の路側帯)とされていたものである そして被告人は昭和四五年六月一九日午後一時五分頃、軽四輪貨物自動車を運転して本件道路を東進し、原判示の本件事故発生現場より一〇〇数十メートル西方の通称b交差点西詰で赤信号に従い一時停止したのち、青信号に従い被告人の車が先頭になつてセンターラインから約四、五〇センチメートルのあたりを時速約三〇キロメートル(制限時速五〇キロメートル)で東進し、本件事故発生現場より約二一・九メートル手前にある横断歩道上を進行していた際、左斜め前方約一七・三メートルの道路左側端部分を同方向に歩行中のA(当六六年)の後姿を認め、同人が道路左側端部分を歩きながら一旦右後方を振り返つたが道路中央に向つて出てくる気配もなく、そのまま歩いて行くのを見てそのまま前進するものと思い、被告人は同一速度のままで進行した 右Aは、道路左側端部分を歩いていたが、進路前方に左側端ほぼ一杯に車体を寄せ、その車体右側を外側線から道路中央に向つて約二、三〇センチメートルはみ出して駐車していた軽自動車(その後部は前記横断歩道の東端線から約二三メートルの地点)の右斜め後方約一・三メートルの地点(当審検証調書添付見取図の「タイ」点)に出て、そこから右駐車車両の右側にそつて通行することなく、突然、被告人の方に後姿を見せながら小走りで、Bの検察官に対する供述調書中の表現をかりれば「かにの横ばい」のような状況で、南へ向けやや斜めに横断をし始めたところ、東進して来た被告人の車の左側面前部(前部から約五、六〇センチメートルの部位)に衝突して路上に転倒し、頭蓋骨折、脳挫傷の傷害を負い、約二時間五〇分後に原判示のC病院において死亡したこと及び前記駐車車両の右側面とセンターラインとの間は約三・七メートルないし三・八メートルあり、車幅一・二九メートルの被告人の車がセンーターライン寄りに通行しても被告人の車の左側面と右駐車車両との間はなお二メートル有余の間隔があつて歩行者が右駐車車両の右側を通行するには十分な余裕があつたことが認められる そして、当審証人Bの証言及び当審検証調書によれば、被告人の車の約一〇メートル後方を自動車を運転して後続していたBは、左斜め前方約一五・九メートルの前記「タイ」点にいるAを認めたというのであり、これによればその際の被告人と「タイ」点との距離は約五・九メートルであることとなり、また、右検証調書によれば「タイ」点と衝突地点との間は約二・一メートルであるから、これから右Aの小走りの速度を算定すると秒速三・二メートル(時速一一・七キロメートル)と算定されるが、右の数値は老令である同人の速度としては早過ぎると考えられ、かえつて両者の速度から距離を逆算するに、六六歳のAの小走りの速度を少なくとも秒速二メートルとすると、Aが二・一メートル進行する間に時速三〇キロメートル(秒速八・三三メートル)の被告人の車は八・七五メートル進行することとなるから、自動車の接触部位が車の前部から約五、六〇センチメートルであることをも考慮に入れると、被告人と前記「タイ」点との距離は八・一五ないし八・二五メートルであることが算定され、Aが「タイ」点にいたときの被告人の位置関係は大体後者のような関係にあつたとみるのが相当である ところで、被告人は原審及び当審において前記駐車車両がいたかどうかは記憶にない旨供述するが、被告人の車は先頭になつて進行しており、かつ右駐車車両を認めるに妨害となるべき物は何ら存在しなかつたのであるから、当然被告人の視野に入つていた筈であり、ただ右車両は道路左側端に駐車し、かつ同車とセンターラインとの間は約三・七メートルないし三・八メートルもあつて被告人の車の進行に全く危険を感じさせるものがなかつたところから、駐車車両を認めてはいたが、特に記憶に残つていないというものではないかと考えられる また、原判決は、被告人が左斜め前方約一七メートルの道路左側端を同方向に歩行しているAを発見したのち、同人と接触するに至るまでの被告人及びAの動静等につき、Aが衝突前被告人車両の方を振りむいたとの被告人の供述はたやすく信用しがたく、被告人がこの点について明確な供述をなし得なかつたのは所詮被告人はこれに注意を払つていなかつたと説示するのに対し、所論はAが衝突直前、被告人の数メートル前で被告人車両の方を振りむいたとの被告人の供述は信用できるというのである なるほど、被告人が本件事故当日の昭和四五年六月一九日付司法警察員に対する供述調書においては、「衝突前数メートル手前でAが被告人の方を見たように思う」旨供述したが、その後の司法警察員及び検察官に対する供述調書においては、「最初左斜め約一七・三メートル前方を同方向に歩いて行くAの姿を発見したあと同人はそのまま左側を歩いて行くものとばかり思つていたので衝突時まで同人の動きに全然注意していなかつた」旨供述し、次いで原審第一回公判においては「事故現場から四、五メートル手前に接近したとき被害者は振り返つたと思うが、横断するような素振りは見受けられず、大丈夫だと思つていた、前方は注視していたが被害者にばかり気をとられては前方不注意になるのでそのようにしなかつた」旨供述し、原審第五回公判においては「最初Aを発見した際、同人は一旦右後方を振りむいてそのまま前の方へ歩いて行き、横断する気配はなかつた 同人の右後方二、三メートルのところまで、ちよいちょい同人の動静に注意を払つていた
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」旨供述していて、Aが後を振り返つたかどうか、被告人がAを見てからのち同人に注意を払つていたかどうかについて供述に変遷があるが、原審及び当審における検証の際には、被告人はAが後を振り返つた地点としていずれも被告人から一〇数メートル左斜め前方の道路左側端部分を指示しており、その他にAから二、三メートルあるいは数メートル手前で同人を認めたという地点については何ら指示をしておらず、以上の各供述及び右検証の結果並びに実況見分の結果を総合すると、さきに認定した如く被告人は左斜め前方約一七・三メートルの道路左側端部分を同方向に歩行中の右Aの後姿を認め同人が同部分を歩行中に一旦右後方を振り返つてまたそのまま歩いて行くのを認めたが、被告人は同人がそのまま前方に歩いて行くものと信じ、前方には注意をしていたが、その後の同人の動静については十分の注意をしていなかつたものと認めるのが相当である したがつて、原判決の前記説示および弁護人の所論はそれぞれその一部においては相当であるが、他の一部においては不相当といわなければならない 以上要するに、被告人は前記の如く道路左側端部分を歩行していたAが一旦右後方を振り返るのを認めるとともに、同人の進路前方に車両が駐車しているのを認めたが、同人が被告人の車両に気づいたかどうかは判明しないとはいえ、同人がそのまま前方に歩くのを見て、同人がそのまま前方に歩いて行く、すなわち、道路左側端を進み右駐車車両の右斜め後方に出て同車の右側を通行して行くものと考え、前方には注意しながらも特にAのその後の動静には十分の注意をしないで自車を走らせたところ、衝突地点の約八メートル余手前に進行した際、駐車車両の右斜め後方約一・三メートルの「タイ」点(当審検証調書によれば、駐車車両の右側面を延長した線との間隔は約〇・五メートル)のAが駐車車両の右側にそつて通行することなく、突然、小走りで道路南側へ横断し始めたことが認められるのである ところで、原判決は、本件事故の発生につき「このような場合、自動車運転者としては、Aの右側方を通過することになることから、同人の動静に深甚の注意を払い、同人が進路変更等の挙に出た際には、これに応じて回避停車等の適宜の措置をとり、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同人がそのまま直進するものと軽信して以後同人の動静に注意を払わず、漫然前記速度で進行を続けた過失により、……」と判示して、被告人<要旨>の過失を認めているので、この判断の当否について考えてみるに、自動車運転者に安全運転義務があることは</要旨>道路交通法七〇条に規定するところであるが、右義務といえども、当時の客観状況から合理的に予測できない突発事態にまで対処できるよう万全の注意を要求するものとは解せられない すなわち、自動車運転者が車両の往来が比較的に少ないとはいえ、地方の幹線道路で幅員の比較的に広い国道を通行する場合、進路の道路左側端付近の路側帯上を自車と同方向に歩く歩行者を認めても、その横を通過する際の間隔がある程度離れていて通常危険を感じさせるものでないと認められるときは、その歩行者がいかなる行動に出るか予測の困難な幼児などであれば格別、然らざる限り、その者が自衛本能から自ら自動車と衝突するような危険を避けるため適切な行動をとるであろうと信頼して運転すれば足り、横断歩道またはその直近でない箇所において被告人の車の進行を無視し、突然しかもその側面に飛び出すようなことがあることまで予測して事故防止を講じなければならない注意義務を負うものとは解せられないのである 本件において、本件道路は車両の交通が比較的に少ないとはいえ一時間に約四〇〇台の車両の通行がある幅員の比較的広い国道で、車幅一・二九メートルの被告人の車がセンターラインの四、五〇センチメートルのところを進行しても道路左端を歩いているAの右横を通過するときの間隔は二・二ないし二・三メートル、前記「タイ」点から駐車車両の右横をAが通つたとしてもその際の同人との間隔はなお約二メートル近くあつたもので、被告人が道路左側端(路側帯)を歩行中のAが右後方を振り返つて前方に進んで行くのを見て、同人がそのまま前方に歩いて行くものと信じたのは、その段階では当然のことであり、その後のAの動静については十分の注意を払つてはいないが、同人が駐車車両の右斜め後方の前記「タイ」点に出て来たのを認めていたとしても、同人は東向いて被告人の方には後姿を見せていたのであるから、何人が見ても同人が駐車車両の右横を通行して行くものと信じるのは当然であり、かつ、被告人の車が「タイ」点の横を通過しても、なお約二メートルの間隔があつて危険を感じさぜるものはなかつたのであるから、被告人が前方には注意しながらもAののちの動静について十分の注意を払わなかつたとしても、被告人がそのままの速度で進行したことにつき不注意があつたということはできない しかも、被告人が本件衝突地点より約八メートル余手前において、前記「タイ」点に出て来たAの後姿を認めたとしても、同人が突然被告人に後姿を見せつつ小走りに斜め横断を開始するのを見て、直ちに急制動の措置をとつても同人との接触を回避することはできなかつたと認められるのである なお本件のような状況のもとにあつては、被告人に警笛吹鳴の注意義務はないものと解するのが相当であつて、被告人が警笛を吹鳴しなかつたことをもつて過失とはいえず、ことに「タイ」点から飛び出して来るAを見て急拠警笛を吹鳴したとしても、同人との接触を回避することはできなかつたと考えられる 原判決は、本件のような一般に動作の機敏性に乏しく、かつ、交通道徳に関する認識水準もさして高くない老令のAに対し危険を避けるため適切な行動をとるであろうことを信頼することはできない すなわち本件の場合いわゆる「信頼の原則」は適用されないというが、単に老令であるという理由だけではこれに対し必ずしも適切な行動に出ることを期待し得ないものとはいいがたく、Aは当時六六歳とはいえ、被告人と同年輩であり、妻Dの検察官に対する供述調書によれば、Aは兄と共同で鉄工所を経営し、平素元気で耳も目もよく、足腰も達者であつて、いつも自宅と本件道路を距てて近くにある鉄工所との間を往き来し、道路横断についての注意をわきまえていたことが認められるので、同人に対し適切な行動に出ることを期待し得ないものではないと考えられるから、右原判決の見解は採用しがたい
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主    文 原判決中被告人両名に関する部分を破棄する。 被告人Aを懲役四年に、同Bを懲役三年六月に各処する。原審における未決勾留日数中被告人Aにつき一五〇日を、同Bにつき一八〇日を、それぞれ右各刑に算入する。 押収してあるゴルフクラブ一三本(東京高裁昭和五一年押第四四九号の一)、ゴルフバツグ一個(同号の二)、クラブカバー、ウツド用四個(同号の三)、同パター用一個(同号の四)を、被告人Aから没収する。被告人Aから金一〇四万一、七六四円を追徴する。 理    由 本件各控訴の趣意は、被告人Aについては同被告人の弁護人箕山保男、同溝口節夫連名作成名義の控訴趣意書に、被告人Bについては同被告人の弁護人山田有宏、同伊藤眞連名作成名義の控訴趣意書および弁論再開申請書にそれぞれ記載されたとおりであり、これらに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事三野昌伸作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。 被告人Aの弁護人らの控訴趣意第一点(刑事訴訟法三七八条三号に該当する違反ないし訴訟手続の法令違反)について 所論は要するに、「検察官は当初、別紙第一の一ないし七記載の事実を、被告人Aに対する枉法収賄の訴因(以下「本位的訴因」ということがある。)として公訴を提起したが、その後原審第一八回公判期日において(横浜地裁昭和四八年(わ)第五六〇号事件については、さらに同第二〇回、第二一回公判期日において)、右本位的訴因を別紙第二の一ないし七記載の事実(以下「予備的訴因」ということがある。)のとおりに予備的に変更する旨請求して許可され、原判決は、右予備的訴因に基づき、これとほぼ同一の事実を認定した。しかしながら、右本位的訴因と、これに対応する予備的訴因とでは、犯罪の日時、場所、賄賂の内容、収賄共犯者の全面撤回、贈賄共犯者の異動、現金の多寡等訴因としての重要な事項の殆ど大部分が相違しており、このような場合には、右両訴因間に公訴事実の同一性を認めることができないから、前記訴因の変更は、刑事訴訟法三一二条二項に違反し許されないというべきであり、したがつて被告人Aに対し前記本位的訴因について無罪の言い渡しをせず、これと公訴事実の同一性ありと認めることのできない予備的訴因に基づき、これとほぼ同一の事実を認定し、有罪の言い渡しをした原判決には、審判の対象である公訴事案について審判の結果の判断を下さず、逆に審判の対象外である事実を認定した同法三七八条三号に該当する違反ないし判決の影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があり、この違反はひいては憲法三九条、三一条にも違反する結果となる。」というのである。
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よつて検討するに、原審において被告人Aに対する別紙第一の一ないし七記載の訴因について別紙第二の一ないし七記載のとおりに訴因の予備的変更の請求がなされて、これが許可されたことは所論のとおりであり、このことは記録上明らかである。そこで、右本位的訴因と予備的訴因との間に公訴事実の同一性が認められるか否かについて考えるに、記録を検討すると、まず本位的訴因における免許証取得者らと、予備的訴因における免許証取得者らとは、いずれも同一であり、右の者らに運転免許証を得させるために施した不正の行為の内容、その日時、場所はすべて同一であるところ、本件においては右免許証取得者らが、それぞれ被告人Aを含む自動車運転免許試験の試験官(以下「試験官」ということがある。)らに賄賂を供与する目的で金員を支出したこと、被告人Aが右金員の一部またはその変形物により職務上不正の利益を得ていること、C(別紙第一および第二の各一ないし三につき)およびB(別紙第一および第二の各四ないし七につき)が右免許証取得者と被告人Aとの間の右賄賂の供与、受供与に関与していることは、両訴因間においていずれも共通しているのであつて、検察官は、当初C、Bを被告人Aの収賄の共犯者とみて起訴したところ、審理の結果、右両名は免許証取得者らからそれぞれ金員を受取り、その一部を試験官である被告人Aに交付し、あるいはその金員で同被告人に饗応接待したもので、むしろ被告人Aに対する贈賄の罪責を負うべきものと<要旨>評価すべきことが判明したというに過ぎないのであつて、なるほど本件両訴因間に受供与の日時、場所、共犯</要旨>者、賄賂の額、内容等について相違あることは所論が指摘するとおりであるけれども、前記のような事実関係に鑑みれば、両訴因は結局一連の同一事実関係を対象としながら、法廷に提出された証拠に対する評価を異にする結果、犯罪の日時、場所、共犯者の有無、賄賂の額、内容等犯罪の形態を異にしているに過ぎないとみるべきであり、したがつて右のような事実関係においては、両訴因が同時に併立する関係にはない(即ち一方の犯罪の成立が認められるときは、他方の犯罪の成立を認め得ない関係にある)と解せられ、右両訴因は公訴事実の同一性の範囲内にあるものというべきである(所論がその主張の根拠として引用する判例ー特に東京高裁昭和三〇年(う)第一、八八三号同三一年七月一八日判決、高裁刑裁特報三巻一六号七七九頁―は、本件とは事実関係を異にするものであつて、本件に引用するのは適切でないというべきである。)。また右予備的訴因と、これに対応する原判決認定にかかる各事実(原判示第四の別表第二、番号1、3、5、7、9、11、12の事実、同第五の別表第三、番号10ないし16、18、20の事実)との間に、犯行回数、賄賂の額、賄賂者の数等について若干相違があり、原審において訴因変更の手続きを経由していないことが認められるけれども、両者はもとより公訴事実の同一性の範囲内にあり、かつ、右の程度の相違については特に訴因を変更しなければならないものとはいえない。してみると、本件における訴因の予備的変更および右予備的訴因に基づいてなした原判決の事実認定には、所論が指摘するような違法はなく、この点に関する論旨は理由がない。被告人Aの弁護人らの控訴趣意第二点(法令の適用の誤り)について所論は要するに、「(一)、被告人Aに対する枉法収賄の公訴事実のうち、収賄の刑の加重をすべき原由たる不正行為事実とこれに対応する各道路交通法違反被告事件の事実(即ち横浜地裁昭和四七年(わ)第一、九四二号、同四八年(わ)五〇号、一八九号、四四〇号、五五八号、五六〇号ないし五六三号、八〇五号、一、一七九号、一、三二四号、一、八四三号事件各起訴状の被告人Aに対する各枉法収賄の公訴事実中収賄の刑の加重をすべき原由たる不正行為事実と各道路交通法違反の事実、ただし同四八年(わ)五六三号事件の公訴事実第一、別表番号10を除く。)とは、同一の事実であり、ただその行為が同時に数個の罪名に触れる場合であるから、いずれも刑法五四条一項前段の一所為数法の関係にあると解すべく、また(二)、同地裁昭和四八年(わ)五六三号事件起訴状公訴事実第一別表番号10の道路交通法違反の事実と、これに対応する同年(わ)七八九号事件起訴状公訴事実第一の枉法収賄の事実も前記(一)と同様一所為数法の関係にあると解すべきところ、検察官は、右(一)、(二)の各道路交通法違反の所為と、これに基因する各枉法収賄の所為を併合罪として、同時に(前記(一)につき)、または起訴日を変えて(前記(二)につき)二重起訴した違法を犯した。即ち、起訴状の公訴事案、罪名、罰条の通常の記載例からすれば、検察官は右両罪をいずれも併合罪の関係にあるものとして起訴したことが明瞭である。したがつて右二重に起訴された道路交通法違反被告事件は、すべて公訴棄却されるべきであつたのに、これを棄却せず、検察官の起訴には二重起訴の違法はないと判示した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用の誤りがあり、右誤りはひいては憲法三一条三九条にも違反するというべきである。また特に前記(二)の事件については、当初枉法収賄で起訴した場合に、当該道路交通法違反被告事件を追起訴せずに、枉法収賄を訴因変更することは許されるが、本件のように、まず道路交通法違反で起訴し、その後追起訴によることなく、訴因変更手続により枉法収賄を審判の対象とすることは、右二個の訴因の間に同一性が認められないから許されないというべきであり、この点につき、訴因変更の手続で足りるとする原判決の考え方も誤りである。」というのである。
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被告人Aは、昭和四八年三月ころ、以前から親交のあつた横浜地方裁判所書記官Dを介し、そのころ同人と交際していたFから同人経営の料亭「G」の落成祝の名目で招待を受け、自己の職場の同僚で自動車運転免許試験試験官のHも連れて出席したところ、その席上DからFの知合いのIについて不正の手段により自動車運転免許試験に合格させてもらいたい旨頼まれてこれを引受け、同人が不正に運転免許証を取得した(原判示第一、同別表第一番号26)後の同年五月、同人から合格祝という名目で、同人の自動車免許試験の技能試験を担当した前記Hとともに飲食の接待を受けたうえ、その際Dを介してIから現金五万円の謝礼を受け取り、そのうち二、三万円を封筒に入れ、これをDを介してHに渡していること、BはFの知合いであつたところから右Iの合格祝に出席し、被告人AやHとも同席したが、その席でFから金を出せばDの世話で運転免許証を取得できる旨聞いたところがら、同年六月中旬ごろFに対し謝礼金一〇万円を渡して免許証の不正取得の世話をしてもらいたい旨申し入れ、Fはその旨をDに伝え、右一〇万円を同人に渡し、同人は同年六月二三日ごろ被告人Aに対し電話でその旨を申し入れたうえ、その日Bを伴い、右一〇万円のうちの三万円を封筒に入れて持ち、被告人Aの勤務先である運転免許試験場に赴き、まずBを被告人Aに引き合わせたあと、自分だけ同被告人の執務机のところに行き、前記三万円在中の封筒を中身の説明をせずに同被告人に渡したこと、Bはその日同被告人に勧められて運転免許試験の学科試験を特段の不正行為なしに受験してみたが、法令試験には合格したものの、構造試験には合格できなかつたところから、被告人AはBに同月二五日に再び受験するように指示し、再受験によつても合格点に達しないときは不正の取扱いをして同人を合格させようと考えていたところ、同人はその当日原判示第七の五の傷害事件で逮捕され、その後勾留されてしまつたため受験できなかつたこと、被告人Aは同月二五日ころ前記封筒に一万円札が三枚くらい在中していることを確認したこと、被告人Aは、Bが再受験に出て来なかつたことから、翌二六日ころB宅に電話したが、不在で連絡かとれず、その二、三日後再び電話したところ、同人の妻から「夫(B)は店の若い者のけんかのことで警察に呼ばれている 新聞にも出ている 」と言われたところから、自己の警察官としての経験から、同人がけんかの事件で警察の取調を受けているものと考え、直ちにDに電話をかけ、「Bがけんかで警察によばれているらしい まずいし、まだ試験も終つていないんだから、あの金は返すよ 」と伝え、同人からその必要はないと言われたものの、その数日後Dの勤務先の知人を通じて右三万円を返還したこと、Bはその後同年八月六日ころ保釈になつたが、間もなくFに対し自分の免許証の不正取得の話を持ち出し、同人は同月一六日ころDを介し被告人A、E、Hら試験官らを前記「G」に招待して飲食させ、Bも同席してその費用の一部として三万円ぐらいを負担したこと、Bはその後希望どおり運転免許証を不正取得した(原判示第一、同別表第一、番号27)が、同年一〇月初めごろ被告人Aら前記試験官らを飲食店に招待して合格祝をしたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば、被告人Aは、Dから頼まれて、まずIに運転免許証を不正取得させ、その際同人からその謝礼の趣旨で飲食の招待を受けたり現金を受取つており、その後一か月も経たないうちに、再びDから前と同じようにBについての運転免許証の不正取得を頼まれてこれを了承し、Dから前記封筒を受け取つたものであつて、被告人Aは、右封筒を受取つた際Iのときの経験から、右封筒の中にはBの運転免許証の不正取得に関する謝礼として、現金ないしこれに相当するものが同封されているものと考えていたと認めるのが相当であり、同被告人において、その後同封されているものが現金三万円であることを確認したことは前認定のとおりであるから、被告人Aに収賄の故意があつたと認めるに十分であり、被告人Aが原判示第三のとおり、Dから被告人Bについて免許証不正取得の請託を受け、その謝礼として賄賂三万円を収受した事実は明らかであるといわなければならない 前記原審第二回、第八回各公判調書中被告人Aの供述記載部分、当審公判廷における同被告人の供述、ならびに被告人Aの検察官に対する昭和四八年二月九日付供述調書中、前記認定に反する部分は、いずれも他の関係証拠に照らして信用することができない 所論は、被告人AはDから封筒を受取つた翌日その中に現金がはいつていることを知つたので、直ちにこれをDに返還したものであり、これは同被告人に賄賂領得の犯意が全然なかつたことの証左であるというのであるが、同被告人が封筒の中に現金三万円が在中していることを確認したのは六月二五日ごろであり、これを返還しようと決意したのはその二、三日後であり、その理由も、Bが法令試験の再受験に出頭せず、刑事事件で警察の取調をうけていて、連絡がとれないところから、受け取つた金は一旦同人に返しておいた方がよいと判断したためであつて、Dから受領したものが現金だから収賄の罪にふれることを恐れてこれを返還したものとは認められないことは、前記認定事実によつて明らかであるから、所論は採用できない その他記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、右認定を左右するに足りる証拠は存しない この点に関する論旨は理由がない (二)、 (所論(二)について)原判決が、同判示第五、同別表第三、番号10ないし16の事実につき掲げる各証拠を総合すれば、所論の枉法収賄の犯意の点を含め、原判示第五、同別表第三、番号10ないし16の事実を優に認めることができ、原判決の認定に事実誤認があるものとは考えられない
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原審第六回、第七回、第一八回各公判調書中の被告人Aの供述記載部分、原審第一二回、第一六回各公判調書中のCの供述記載部分、被告人Aの当審公判廷における供述中には所論(二)に添う部分があるけれども、前記各証拠を総合すると、被告人Aは、昭和二八年ころから二年間戸塚警察署管内の交番に勤務していたところ、Cと知合い、その後一時交際は中断したが、同四四年ころ自動車運転免許試験場で同人と偶然再会したことから交際が復活し、以後時折同人から誘われて、横浜市内の寿司屋などで飲食させてもらう間柄になつていたものであるところ、同人から頼まれ、同四五年二月ころ同人の知合いのJに運転免許証を不正取得させた(原判示第一、同別表第一、番号12)こと、その後Cは、Jから「試験官に渡してくれ 」と言われ現金を受取つたので、その旨を被告人Aに伝えたところ、同被告人からその受領を拒否されたので、「俺が金を預つておくから、Aさんが飲みたくなつたら、いつでも声をかけて下さい 」と言つて右金員を預かり、その後右金員を使つて被告人Aと飲食遊興したこと、Cは右Jの免許証の不正取得が成功して以来、自己の親族、仕事の取引相手などに対する免許証の不正取得をしばしば被告人Aに依頼するようになり、免許証取得希望者から不正取得の申込みを受けた都度、被告人Aら試験官をキヤバレー、寿司屋などに誘い、その席で免許証取得希望者を同被告人ら試験官に引き合わせていたこと、Cは昭和四五年一〇月ころ被告人Aら試験官を横浜市内の料亭に泊りがけで招待したのを初めとして、その後も原判示第五、同別表第三、番号10ないし16の事実(以下「本件饗応接待」という)を含め、同人らを熱海の旅館等に前後七、八回ぐらいにわたり招待したほか、横浜市内のキヤバレーなどにもしばしば誘い、遊興させていたこと、本件饗応接待は、多くの場合Cが免許証不正取得者らから謝礼金を受取つたあと、自ら熱海の旅館での宴会などを計画設営したうえ、被告人Aに対し電話で、「免許証をとつた人も出るから、出て下さい 」とか、「免許がおかげでとれたことでもあるので、これで(謝礼金で)一緒に遊びに行こう 」などと言つて誘い(原判決別表第三、番号10、11、16)、あるいは被告人Aの都合を聞いたうえ宴会の日取を決め(同番号12、15)、時には当該免許証取得者が試験に合格したあと、被告人AからCに対し、「熱海に行くか E、Kも行くと言つているから 」と暗に饗応接待を求めることもあつた(同番号13)こと、本件饗応接待の宴席にはC、L(C方に出入りし、白ら運転免許証を不正取得するとともに、他の免許証取得希望者をCに紹介する立場にあつた )、被告人A、E、K、Hら(いずれも試験官)が多数回出席し、たまに当該免許証不正取得者らも同席することがあり、その場合同人らは宴席で被告人AやEらに対し、「お世話になりました 」とお礼を言い、被告人Aらも「事故を起さないように気をつけてやれ 」などと答えていること、旅館に対する支払いは、宿泊代、宴会費、芸者を呼んだ費用(被告人Aら試験官は宴会のあと、殆ど例外なく芸者などと同表していた )を合わせ、一回あたり総額一〇万円ないし一五万円のことが多く、二〇万円をこえることもあつたが、その支払いはCが主に免許証不正取得者らから受取つた謝礼金から支出し、被告人Aら試験官が費用の一部を負担したことは一度もなく、同人らもそれを当然のこととして了解していたこと、被告人AはCを通じて本件饗応接待を受けていたとほぼ同じ時期に、Bの依頼により多数の免許証取得希望者を不正に試験に合格させ、その謝礼として同人を介して多額の賄賂(現金)を収受していたこと(原判示第四、同別表第二の各事実)、以上の事実が認められ、右事実によれば、Aは、当該運転免許証取得者から試験官に対する謝礼金がCのもとに交付されており、同人がその金員をもつて被告人Aら試験官を饗応接待したものであることを認識していたこと、即ち被告人Aには収賄の故意があつたと認めるに十分であり、同被告人が原判示第五、同別表第三、番号10ないし16のとおり饗応接待を受け、自己の職務に関して賄賂を収受したものであることは明白であるといわなければならない 前掲各証拠(原審第六回、第七回、第一八回各公判調書中の被告人Aの供述記載部分、原審第一二、第一六回各公判調書中のCの供述記載部分、被告人Aの当審公判廷における供述)中前記認定に反する部分はいずれも他の関係証拠に照らして信用することができない 所論は、本件は被告人AがCから同人経営の会社の慰安会、忘年会、暑気払いということで個人的に誘われ、自分もそのつもりで同会社の者大勢とマイクロバスに乗るなどして参加したもので、これが免許証不正取得に対する報酬であるとは全く考えていなかつた旨強調するのであるが、前記各証拠によれば、マイクロバスで熱海に出かけたのは昭和四六年の二月か三月ころのことであり、また同年八月末ごろにはCから慰安旅行ということで熱海に誘われて参加したことがあるけれども、これらはいずれも本件饗応接待とは別の事案であることが認められるのみならず、本件の饗応接待の宴会には、被告人AのほかにそれまでCとは特段の付合いのなかつたE、K、Hら運転免許証の不正取得に関与した他の試験官も出席し、同人らが宴会終了後芸者と同衾した費用までCから支払われていること、その他饗応接待への誘い方、その回数等の前記認定事実に照らすと、所論はとうてい採用できない その他記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、右認定を左右するに足りる証拠は存しない この点に関する論旨も理由がない
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そこで検討するに、同一の起訴状に数個の訴因を記載するにあたり、それが科刑上一罪の関係にある場合には、これを一つにまとめて記載し、併合罪の関係にある場合にはこれに別個の番号を付して記載するのが実務の一般例ではあるけれども、理論的には右のような記載方法は訴因の明示上本質的なことではないというべきであり、記録によれば、検察官は原審第一一回公判期日において、所論指摘の各道路交通法違反の事実と、これらに対応する各枉法収賄の事実が一所為数法の関係に立つものである旨明瞭に釈明していることが認められ、これによつても、検察官が右両罪を一所為数法の関係にあるものとして起訴したものであることが明らかであるから、単に起訴状の記載形式のみから、検察官は、一所為数法の関係にある右両罪を併合罪として起訴したものであつて、これには二重起訴の違法があるとする所論は採用することができない。また所論は前記(二)の事件につき、当初道路交通法違反で起訴された事件について追起訴によることなく、訴因変更手続により、枉法収賄を審判の対象とすることは両者の間に訴因の同一性がないから許されない旨主張するけれども、所論指摘の道路交通法違反の事実は、それに対応する枉法収賄の事実のうち収賄の刑の加重をすべき原由たる不正行為事実と同一の事実であつて、右両罪が一所為数法の関係にあることは原判決が判示するとおりであるから、右道路交通法違反の訴因と枉法収賄の訴因との間に公訴事実の同一性のあることが明らかであつて、原判決が、検察官のなした追起訴を訴因変更の請求とみて、右両訴因をともに審判の対象としたことに何ら違法はなく、この点に関する所論も採用することができない。論旨は理由がない。 被告人Aの弁護人らの控訴趣意第三点(事実誤認、法令の適用の誤り)について所論は要するに、「(一)、原判決は、その(罪となるべき事実)第三において、被告人AがDから、Bに不正の手段で自動車運転免許証を取得させてもらいたい旨請託を受け、自己の職務に関し現金三万円の賄賂を収受した旨認定したが、右事実認定は誤りである。即ち被告人Aは、原判示第三の日時ごろ同判示場所において、その当時親しく交際していたDから、同人の勤務先の横浜地方裁判所の名が印刷された封筒を受取つたことがあるが、その際その中にはビール券か映画券でもはいつていると思つていたところ、後日その中をのぞいてみると、一万円札が何枚かはいつているのが見えたので、すぐ返還しようと思い、その数日後Dの職場の同僚を介して同人にこれを返還したものであつて、被告人Aには賄賂領得の犯意は全くなかつたから、右事実について同被告人は無罪である。(二)、原判決は、その(罪となるべき事実)第五、同別表第三、番号10ないし16の事実(被告人Aに対するCからの饗応接待による枉法収賄の事実)を認定したが、右事実認定は誤りである。即ち被告人Aは、Cとは昭和二八年ごろから二年間ぐらい交際があつたところ、同四四年自己が勤務する自動車運転免許試験場で同人と偶然再会し、以後しばしば飲食店等で同人から御馳走になる程親しく付合つていたものであり、本件の前記飲食の接待も、同人から、同人経営の会社の慰安会、忘年会、暑気払いや、当時Cが同僚のEから請負つていた建物建築の打ち合せに来てほしいということで誘われ、自分もそのつもりで参加したものであり、これが自動車免許証不正取得に対する報酬であるとは寸毫も考えていなかつたのであつて、被告人Aは自己の職務に関し饗応接待を受けたものではないから、右事実についても、同被告人は無罪である。(三)、原判決は、前記(一)のとおりの経緯でDに返還された現金三万円について、被告人Aに対し追徴を言い渡したが、右三万円の追徴はDに対して言い渡しをすべきであるから、原判決には刑法一九条の二の適用を誤つた違法がある。」というのである。 そこで記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて所論(一)ないし(三)について順次検討する。 (一)、 (所論(一)について)原判決が同判示第三の事実につき掲げる各証拠(ただし原審第二回公判調書中の被告人Aの供述記載部分ならびに同被告人の検察官に対する昭和四八年二月九日付供述調書については、後記信用しない部分を除く。)を総合すれば、所論の賄賂領得の犯意の点を含め、原判示第三の事実を優に認めることができ、原判決の認定に事実誤認があるものとは考えられない。すなわち、原審第二回、同第八回各公判調書中の被告人Aの供述記載部分および当審公判廷における同被告人の供述中には所論(一)の主張に添う部分があるけれども、前 記各証拠を総合すると、 (三)、 (所論(三)について)被告人AがDから収受した賄賂現金三万円を同人に返還したことは前記(一)で認定したとおりであつて、このような場合追徴の言い渡しは収賄者に対してなすべきでなく、返還を受けた贈賄者に対してなすべきである(最高裁判所昭和二九年七月五日決定、刑集八巻七号一〇三五頁参照。)から、原判決が被告人Aに対し原判示第三の賄賂三万円相当額の追徴を言い渡したのは、刑法一九七条の五の適用を誤つたものであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決のうち被告人Aに関する部分は破棄を免れない。この点に関する論旨は理由がある。
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被告人Bの弁護人らの控訴趣意第一(訴訟手続の法令違反)について所論は要するに、被告人Bに対する横浜地裁昭和四八年(わ)五六〇号、五六二号、一、一七九号、一、三二四号、一、八四三号各被告事件における当初の訴因は、いずれも共謀による枉法収賄であつたところ、検察官は、原審第一八回公判期日において右各訴因をいずれも共謀による贈賄に予備的に変更する旨の請求をなし、原裁判所は同期日に右請求を許可する決定をしたが、検察官は関係証拠によつては、とうてい認定することのできない共謀による枉法収賄の訴因を審理の最後まで維持し続けたあげく、証拠調が実質的に終了した原審第一八回公判期日において、極めて恣意的に右訴因を共謀による贈賄の訴因に予備的に変更する旨請求したものであつて、このような身勝手な検察官の態度は、被告人の防禦を尽させるためのものである訴因制度を根底から破壊するものであり、そのため被告人Bは、予備的訴因に対する実質的防禦活動を全くなしえなかつたものである。したがつて、右のような訴因の予備的変更の請求は許されないものであるのに、原裁判所がこれを許可したのは違法であるところ、原判決は右許可決定をした予備的訴因を認定しているので、右違法な許可決定が原判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決は当然破棄されるべきであるというのである。 そこで検討するに、検察官が検察官側の立証活動が殆ど終了した原審第一八回公判期日に予備的訴因の変更請求をして許可され、原判決が右予備的訴因を認定し、被告人Bに対し有罪判決をしたことは、所論のとおりである。しかしながら、刑事訴訟法三一二条によれば、訴因の追加、変更をなすべき時期については格別の制限がないものと解すべきところ、記録を調査するに、原裁判所はその第一八回公判期日において所論の如き検察官の予備的訴因の変更請求に対し、被告人Bの弁護人より「右請求に異議はない。」旨の意見を徴したうえ、右請求に対する許可決定をなし、直ちに被告人Bに対し、右予備的訴因に対する認否を求め、同被告人は「すべて事実は認めます。」と陳述していることが認められるのであつて、検察官の右訴因の変更請求が実質的証拠調が終了した段階で行なわれたものであり、それまでの間に検察官において訴因の変更請求をなしうる機会があつたとしても、右予備的訴因と本位的訴因とは、被告人BをAの収賄についての共同正犯とみるべきか、同人に対する贈賄としての刑事責任を負わせるべきかの差異にすぎず、その点の判断となる証拠は全く同一であつて、右訴因変更請求の段階ですべて取調べ済みであつたこと(なお本件は訴因変更の前と後で公訴事実が同一であることはいうまでもなく、変更前の訴因についての証拠を、変更後の訴因についての証拠として用いることは、当該証拠が、特に立証趣旨を制限して採用した証拠であるなど特段の事情が認められない本件においては、なんら違法ではない。)、前記のような訴因の変更請求に対する弁護人の態度、変更後の訴因に対する被告人の意見陳述の内容に鑑みれば、被告人の防禦活動に支障があつたものとは認められず、検察官の予備的訴因の変更請求を許可した原裁判所の決定は、適法かつ相当であることが明らかである。論旨は理由がない。 職権をもつて調査すると、原判決は、被告人Bの原判示所為に法令を適用するに当り、原判示第七の五の傷害罪の刑(懲役刑を選択のうえ、三犯の加重を施したもの。)に併合罪加重をする際、刑法一四条を適用していない(共同被告人A、Eらに対しては同条を適用している。)ことが認められ、右は法令の適用を誤つたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らがである。原判決のうち被告人Bに関する部分も、この点において破棄を免れない。よつて、被告人Aの弁護人らの控訴趣意第四点(量刑不当)および被告人Bの弁護人らの控訴趣意第二(量刑不当)に対する判断はいずれも後に自判する際に譲り、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により、原判決中、被告人両名に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において、次のとおり自判する。 原判決が認定した事実(ただし(イ)、原判決四丁表終りから二行目に「66ないし69、71」とあるのは「66ないし71」の誤記であり、(ロ)、同別表第一、番号70、(五)技能欄の(2)年月日欄および(3)方法欄に記載がないのは、(2)の欄に「四七・六・一四」と、(3)の欄に「別紙二の1」と各記載すべきところ、これの記載洩れであり、したがつて右箇所に右のように記入して訂正すべきものと認める。)に原判決が適用した法令を適用し(被告人両名につき科刑上一罪の処理、刑種の選択、併合罪加重の処理を含むほか、被告人Bにつき累犯加重の処理を含む。ただし同被告人に対する併合罪加重にあたつては、前記説示のとおり、原判示第七の五の傷害罪の刑((懲役刑を選択のうえ、三犯の加重を施したもの))に併合罪加重をするにあたり、刑法一四条の制限内で加重すべきである。また原判決八三丁裏一行目に「1ないし5」とあるのは、「2ないし5」の、同八六丁裏七行目に「判示第七の一ないし四の罪」とあるのは、「判示第七の一ないし四(ただし第七の二の1ないし3を除く)の各罪」の各誤記と認める。)、その所定刑期の範囲内において被告人両名を処断すべきものである。そこで被告人両名の犯情について考察する。
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(一) 被告人Aについて同被告人に対する事実関係は、原判決が認定判示するとおり、神奈川県警察本部運転免許課自動車運転免許試験場の学科試験の試験官であつた同被告人が、昭和四五年一月ごろから同四七年一〇月ごろまでの間に、古くからの飲み友達であつたC、同人の紹介で運転免許を不正に取得させ、その後付合うようになつたL、通称横浜西交通裁判所に出張勤務していたころ交通事件即決裁判手続の仕事を通じて知り合つた裁判所書記官D、同人の紹介で運転免許証を不正に取得させ、その後付合うようになつたB、マージヤン遊びの仲間であつたMらを介して、自動車運転免許証の不正取得を希望してきた延べ九一名の者を、原判示第一のように不正な方法により適性試験に、そのうち七八名を学科試験にそれぞれ合格させ、三三名についてさらに技能試験官らに働きかけ、同試験にも合格させたうえ、合格者らのうち三〇名をこえる者から不正行為をしたことに対する謝礼として前記C、D、B、Lらを介して多額の現金を受取り、あるいは多数回にわたり饗応接待を受けた(合計二六回。饗応接待分を含め、その利得額は一〇〇万円をこえる。)というのであつて、被告人Aの右一連の犯行は公務員たる試験官の地位、権限を最大限に悪用したものであり、腐敗、乱脈を極めた悪質なものであるというほかなく、また原判示第一の各犯行は自動車運転の資格のない者の無免許運転を形式上合法化させ、その結果多数の無資格者をして公道等で自動車の運転をさせ、事故発生の危険を実質的に生ぜしめたものであること、および本件一連の犯行が発覚し新聞等に報道されたことにより一般社会人に与えた自動車運転免許制度に対する不信感等、本件各犯行がもたらした結果も重大であるといわなければならない。さらにまた、本件各犯行の動機は、もつぱら自己の遊興飲食等の利益を得ることを目的としたものであつて、そこには酌量すべき余地は些かもなく、そのほか被告人Aは本件各犯行のすべてに主犯格として加担しており、その点で本件免許証に関する犯罪に関連した他の共犯者に比して犯情は重いものがあること等の諸点を考慮すると、同被告人の罪責は重大である。しかしその反面、本件認定にかかる同被告人の収賄額は主位的訴因のそれの四分の一程度にすぎないこと、同被告人が本件犯行に至つたきつかけは前記のような親密な関係にあつたCからJに対し免許証を不正取得させてもらいたい旨頼まれ、これを断り切れなかつたためであり、同被告人には当初から職務上不正の利益を得る目的はなかつたこと、同被告人は昭和一七年神奈川県巡査を拝命して以来、本件犯行に至るまで約三〇年間もの長期間まじめに警察官として勤務し、その間六回以上各種の表彰を受け、職場の同僚等の信頼も得ていたこと、その他同被告人の保釈後の生活態度、家庭の状況、反省悔悟の状況等同被告人に有利な諸点も認められるので、これらいつさいの情状を考慮したうえ、前記刑期の範囲内で、同被告人を懲役四年に処する。
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主    文 原判決を取消す。 本件を却下する。 訴訟費用は第一・二審とも控訴人の負担とする。 事    実 控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和四八年四月一日付をもつてなした名古屋市立円上中学校教諭に補するとの転任処分を取消す。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。当事者双方の事実上、法律上の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。 立証(省略) 理    由 まず、出訴期間に関する被控訴人の本案前の抗弁について検討する。控訴人が被控訴人に教諭として任用され、名古屋市立志賀中学校に勤務していたところ、被控訴人から昭和四八年四月一日付をもつて本件転任処分(名古屋市立円上中学校へ転任を命ずる旨の処分)を受けたこと、そこで控訴人は、同年五月三〇日地方公務員法四九条の二、名古屋市人事委員会規則七号「不利益処分についての不服申立てに関する規則」五条の各規定に基づき、名古屋市人事委員会に対し審査請求をして本件転任処分の取消を求めたところ、同委員会は審理の結果、昭和四九年一〇月二四日付同年一一月五日到達の判定書をもつて本件転任処分を承認する旨の審査請求棄却の判定をしたこと、更に控訴人は、昭和五〇年一月二三日同規則一五条の規定により同委員会に対し再審の請求をしたが、同委員会は同年二月一三日付同月一八日到達の決定書をもつて右の再審の請求を却下したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、原本の存在と成立について争いのない甲第四・五号証によると、右再審請求の理由は右規則一五条一項三号の事由(後出のとおり)があるというものであり、請求却下の理由は右事由が認められないとするものであることが認められる。そして、記録によれば、控訴人が本件訴を提起したのは同年五月九日であるから、右訴提起が、同委員会の本件転任処分承認の判定(審査請求棄却の判定)を控訴人が知つた日から三箇月を経過した後のものであることは明らかである。 被控訴人は、右の点を捕えて、本件訴が、行政事件訴訟法一四条四項の「審査請求に対する裁決」のあつたことを控訴人が知つた日からその出訴期間三箇月(同条一項)を経過したのちに提起されたもので、不適法であると主張し、控訴人は、右の出訴期間三箇月は前記再審の判定のあつたことを知つた日から起算すべきもので、本件訴の提起に出訴期間徒過の違法はない旨反論する。そこで、前記名古屋市人事委員会規則と行政不服審査法との関係、同規則の設ける「再審」について考えてみると、地方公務員法四九条の二及び五一条の二は、同法四九条一項に規定する職員に対する不利益処分については、人事委員会又は公平委員会に対してのみ行政不服審査法による不服申立(審査請求又は異議申立)をすることができるとするとともに、右不服申立については同法二章一節から三節までの規定を適用しないとしたうえ、右不利益処分に対する取消の訴訟は、右審査請求又は異議申立に対する人事委員会又は公平委員会の裁決又は決定を経た後でなければ提起することはできない旨(行政不服審査前置)を規定し、更に地方公務員法五一条は、右不服申立の手続及び審査の結果執るべき措置に関し必要な事項は人事委員会規則又は公平委員会規則で定めると規定している。そして、成立について争いのない乙第一号証によると、右五一条の規定を承けた前記名古屋市人事委員会規則は、二節ないし四節(五条ないし一四条)において不服申立(審査請求又は異議申立)に関する規定を置き、その一三条三項において、右不服申立に対する判定書を送達するときに、当事者に再審の請求の権利がある旨を併わせて通知すべき旨規定したあと、五節(一五条ないし一九条)において再審に関する規定を設け、右の不服申立に対する人事委員会の判定に同規則一五条一項一号ないし三号(一、判定の基礎となつた証拠が虚偽のものであることが判明した場合、二、事案の審査の際提出されなかつた新たなかつ重大な証拠が発見された場合、三、判定に影響を及ぼすような事実について判断の遺漏が認められた場合)の一に該当する場合においでは、当事者は判定のあつたことを知つた日の翌日から起算して三月以内に再審を請求することができ、この請求がなされたときは、人事委員会は再審の請求の期限及び理由等について調査し、右の請求を受理すべきかどうかを決定し、受理すべき場合は所定の手続に従つてこれを審査し、その結果最初の判定を正当であると認める場合にはその旨を確認し、不当であると認める場合には最初の判定を修正し、又はこれに代えて新たに判定を行わなければならず、また更に、人事委員会は前記一五条一項各号の再審の理由があると認めるときは、職権により再審を行うことができる旨規定している。
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主    文 本件控訴を棄却する。 控訴費用は原告の負担とする。 事    実 (原判決の主文) 原告の請求を棄却する。 訴訟費用は原告の負担とする。 (請求の趣旨) 被告が原告に対して昭和(以下略)四六年九月二〇日付でなした原判決添付別紙目録記載の建物に対する撤去命令を取消すとの判決。 (不服の範囲) 原判決全部。 (当事者双方の主張) 次を付加するほか、原判決事実摘示のとおりである。 一、 原告 原判決は、文化財保護法(以下単に法という)八〇条一項にいう「現状変更行為」とは、指定当時の現状の物理的変更を伴ういつさいの行為を指し、個別的因果関係を明確にする必要はない旨判示した。しかしながら最近における国土開発、社会生活の急激な変化に伴い財産権との調和を計るためには、現状変更行為の解釈についても、もつと具体的明確性が要求されるのである。すなわち、法四条二項四項は、文化財を国民的財産とみなすとともに、関係者の財産権の尊重を定めているのであるが、法八〇条一項を原判決のように解するならば、原告所有の本件土地は、文化財保護の名の下に、土地利用の自由を奪われ、所有権の内容は空虚なものとなるから、かかる規制は、補償なくして行ない得ない筈のものである。被告は、法八〇条一項は、現在の使用状態を推持する限り何らの制限をも課してはおらず、その範囲では、財産権の行使は自由であると主張するが、本件土地につき現状のままでの使用、収益、処分は、現実には何らの利用もできないのに等しく、かかる場合まで補償を要しないとすることはできない。古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法九条一項、自然公園法三五条一項等が不許可補償の規定をおくゆえんもここに存する。しかるに、かかる規定を欠く法八〇条一項は、財産権を保障した憲法二九条に違反し違憲無効であるから、同条に基き発せられた本件現状回復命令は、取消しを免れない。本件処分前に被告が原告に対してなした説明、指導あるいは近く土地買収の予定であること等は、被告の行政措置の問題であるに止まり右規定の違憲性を救済するものではない。更に、被告は長期間に亘り原告の法八〇条一項の許可申請に対して許否の決定を下さずまた具体的な補償措置はとつていないから補償的措置を尽した旨の被告の主張は事実に反する。 二、 被告 (一)、 憲法二九条一項の財産権不可侵の保障は、絶対的なものではない。同条二項は、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定めるものとしており、これは、財産権の内容のみならずその行使についても公共の福祉に適合する限りでのみ不可侵性を保障した趣旨と解すべきである。憲法一二条が、同法の保障する自由および権利について、これを濫用しではならず、常に、公共の福祉のために利用する責任を負うものと定めていることからもこのことが、裏付けられる。そして、憲法二九条二項は、同条三項により補償を要する財産権の内容及びその行使に対する規制のみならず、補償を要しない規制をも包含するものであつて、具体的に個入の享有する財産権の内容およびその行使の制限が、態様、程度並びに公共的重要性等からみて、関係者の受認すべき枠内に止まるならば、補償を要しないというべきである。同条三項の正当な補償が完全な補償ではなく、相当な補償で足るとされるのは、財産権の使用収益または処分の権能が制限されたものである以上、財産権の価格も特定の制限をうけるのが当然であり自由な取引による価格まで補償する必要がないと考えるからに外ならない。 (二)、 法八〇条一項は、史跡名勝天然記念物に関しその現状を変更しまたは軽微な程度に止まらない保存に影響を及ぼす行為をしょうとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならない旨定める。これは、文化財が、わが国の歴史、文化等の正しい理解のために欠くことのできないものでありかつ将来の文化の向上発展の基礎をなすものであるため(法三条)、文化財のうち重要な価値のあるものにつきたとえそれが個人の私有財産であつても、同時に国民の公共的財産としての性質をもつものとして、国民全体ひいでは世界人類のために保存活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献せしめる必要がある(法一条四条二項)ため、すなわち憲法二九条二項にいう公共の福祉のために対象物件の形状機能に高度の公共的価値を認めてその物を現状のまま使用、収益、処分することを許容する一方、現状変更行為または軽微な程度に止まらない保存に影響を及ぼす行為を一般的に禁止し、文化庁長官の許可をうけることによりその禁止を解除するという態様、程度において財産権の行使を制限するものである。したがつて法八〇条一項による財産権の制限は、その態様、程度からして、文化財の保存活用によつてもたらされる公共的利益のために現状を損うような現在の使用状態の変更は、許可にかからしめるが、現在の使用状態を維持する限りにおいては、何らの制限をも課してはおらず、その範囲での財産権の行使は自由であるからこの程度の財産権行使の制限は、憲法二九条二項の容認する公共の福祉のための枠内にあるというべきである。すなわち、法八〇条一項の許可制による個人の不利益は、一定の限られた不作為義務の履践ないし将来における新たな権利行使の制限に止まるのであつて、価値の高い文化財の保存活用という大なる公益目的の実現に照らすと、憲法二九条二項三項による補償を条件とすべき程に特別重大な犠牲を個人に強いるものとはいえないので、法八〇条一項が、現状変更行為等の許可制を定めながら、損失補償の規定を設けていないからといつて、同項が憲法二九条三項に違反する違憲無効のものとはいえない。
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